初恋(二)










きり丸は手裏剣を手に、溜息をついた。
利吉と別れたのはつい先日だが、それ以来どうにも物事に集中できない。
今しがたの手裏剣投げの実技授業も、気もそぞろに授業に参加したためにまともに的に当てられず、 居残り練習を命じられてしまった。
「何やってんだろ、おれ」
自嘲気味に呟いたところで、誰かの気配を感じたきり丸は背後に注意を向けた。

「団蔵か」
誰何というより独り言じみた響きに応えるように、団蔵が建物の陰からひょいと顔を出した。
「正解。よくわかったな」
「当たり前だろ。乱太郎とは気配の絶ち方が違うし、しんべヱなら足音消せないし、 庄左ヱ門なら意味なく気配を絶って近付くなんてしないし」
指折り挙げられて、団蔵は「それもそうか」と笑うときり丸の隣に並んだ。

「それにしても珍しいな、きり丸が手裏剣で補習なんて。 一年のときならともかく、利吉さんにいろいろ教えてもらうようになってからは大抵トップだったのに」
「…いいだろ別に。たまにはそんなこともあるさ」
よりによって今一番聞きたくない名前に、きり丸はそっぽを向いた。

以前からよく忍術学園に顔を出していた利吉が、見るに見かねてか、 時間に余裕があれば、は組の補習に付き合ってくれるようになったのは数年前のことだ。
利吉はきり丸が世話になっている土井半助の家を訪れることも多く、その際にも何かと面倒を見てもらったから、 結局きり丸は一番恩恵に預かったことになる。
しかも、いつの頃からか好意を持っていた利吉に認めてほしくて頑張ったということもあって、 気付けばきり丸は、特に実技では学年でもトップクラスになっていた。

「そりゃ誰だって調子悪いときぐらいあるとは思うけど。 でも山田先生も気にしてたぞ。きり丸は何かあったのか?って聞かれたし。どこか具合悪いのか?」
「…そういうわけじゃねーけど」
「だよなぁ。どっちかって言うとここのところのきり丸って、心ここにあらずって感じで……どうせ、 大好きな利吉さんのことでも考えてたんだろうけど」
「だいす…!?な、なな、に言って…」
慌てふためくきり丸を、半眼で振り返った団蔵は、
「あのなぁ」
これ見よがしに溜息を吐いた。
「まさか、気付かれてないとでも思ってたのか」
「おまえ…っ、な、なんで…っ、いや、いつから…」
「見てればわかるよ。いつからかはもう覚えてないけどな」
「そんなに前からかよ」
きり丸は大きく肩を落として撃沈した。

「でも、そんなの今更だしな。他に何かあったのか?あ、もしかして、利吉さんにちゅうでもされたか」
歩きながらあははと笑った団蔵は、背後に落ちた沈黙に、三歩目で足を止めた。
信じられないといった顔をゆっくりと動かして、きり丸を見遣る。
「…まさか本当に?」
そっぽを向くきり丸の頬は赤い。
団蔵は「うわぁ…」と天を仰いだが、気を取り直したように笑みを浮かべた。
「よかったじゃないか」
「…そんなんじゃない」
返って来た沈んだ声に、団蔵は首を傾げる。
「え?」
「おれが勝手に見てるだけで…あっちはそんなふうには思ってねーよ」
「まさか。大体、だったらそんなことしたりは…」
「だからこれは…」
きり丸が経緯を手短に話すと、徐々に団蔵の眉が顰められた。
「…ってわけで、単に追っ手から逃げるために芝居しただけのことで………って…なんだ?団蔵」
何か言いたげな団蔵を促すと、
「それできり丸は何も言わなかったわけ?」
「何もって…別に。むしろ…謝られた、けど」
「それはもちろん、そんなことしたら謝るのは当然だろ?」
きり丸は団蔵から視線を逸らした。
「…違う。別に謝ってなんか…」
「何が違うんだよ」
「だから…芝居のことはいいんだよ。おれが気にしてないって言ったんだ。 でも、そうしたら利吉さん、ちょっと様子がおかしくなって、それで、謝られた」
「…はぁ?」
「多分…おれが利吉さんのこと…その、……好きだって気付かれたんだろ。 それで、普通なら嫌がるはずのあんな芝居をおれが嫌がってなかったから、逆に気持ち悪いとか思われたんだよ」
自分で言っておきながら、胸が痛くなる。
団蔵は何も言わずにきり丸をじっと見ていたが、やがてふぅと息を吐いた。
「きり丸がそう思うなら、そのことについては何も言わないけど…利吉さんはともかく、きり丸の方はどうだったんだ?」
「…おれ?」
「嫌じゃなかったんだろ?そりゃ、好きな相手だったら嫌がることもないだろうけど、 でも、それだったら逆に、逃げる手段としてされるのは嫌だったんじゃないのか?」
「別に…利吉さんだってあのときはあれが最善の方法だったと思うし」
答えながら思わず目を背けたのは割り切れていないからだ。
我ながら情けないと思いつつ強がりを口にする。
「…大体、ちょっと口と口がくっつくだけじゃねーか」
そうだ、だから気にする必要はないのだ。
あのときのことを思い出しては赤くなり、さらにその後逸らされた利吉の視線を思い出しては落ち込んで ということをこの数日で一体何度繰り返したことか。
振り回されるのはもう充分だ。
大したことではなかったのだと思って忘れてしまえばいい。

けれどそうさせてくれなかったのは目の前の級友だった。
「ふうん。ちょっとくっつくだけ、ね」
「……そうだよ」
「じゃあ試してみるか」
「は…?」
「こんな感じか」
ちゅ、と音をたてて鼻のてっぺんに口付けをされる。
唐突に触れてきた相手に動揺するが、それよりもきり丸はくすぐったさに身を捩った。
「ちょ、おい、待てよ、団ぞ、くすぐった……」
言いかけたとき、思ってもみなかった感触にきり丸は目を見開いた。

先日の利吉のものとはまるで違うが、確かに唇に触れた柔らかい感触。
呆然とした視界いっぱいに、団蔵の真剣な顔が映った。
きり丸が我に返るのを待たずにさらにを唇は下にすべり落ちてゆく。

「っ!」
慌ててきり丸は団蔵の頭を押さえつけようとするが、その前に彼の腕に阻まれて身動きすらできないことに漸く気付いた。
「ま、待てって!」
「嫌だ」
「おま、何考えて…っ」
ぞわりと背筋を走った震えに思わずあげそうになった声を噛み殺したときだった。

「…何をしている」
静かな声が冷たく響いた。
その声と同時に解放されたはきり丸は、ほっとする余裕もなく、放心気味に呟いた。
「利吉さん…」
それに対して、返ってきた一瞥は鋭い。
「補習中だというのにふざけている暇などないだろう。父上が見たらどう思われるか」
砂利を踏みながらこちらにまっすぐ歩いてくる彼の顔には、いつものような穏やかさはない。
声と同様に厳しい表情に、きり丸はびくりと身を竦ませた。
そんなきり丸を庇うように一歩前に出た団蔵は、睨むような目で利吉を見た。
「そんなこと言いにわざわざ来たんですか?」
きり丸はぎょっとして団蔵を見た。
利吉は担任である山田伝蔵の息子であり、フリーの売れっ子忍者、 つまり自分たちの大先輩にあたり、は組は皆、彼には敬意と親しみを抱いているはずだった。
しかも団蔵は、性格上思い切りのよい部分はあるが、 家に帰れば若旦那と呼ばれて後々は皆を束ねていかねばならない立場なだけあって、 いろいろなことを弁えている。
少なくとも普段はそんな物言いをする方ではない。
利吉も同じように思ったのか、団蔵を眇め見る。

団蔵はさらに続けた。
「いい加減認めたらどうですか、利吉さん。今だって補習の様子を見に来たわけじゃないですよね」
「…何?」
利吉の視線に鋭い光が混じった。
さすがに団蔵も一瞬怯んだが、それでも話すのをやめなかった。
「言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないですか。 それとも本当に違うって言うなら…もし、…もし、”そのつもり”がないのなら、 もうきり丸にちょっかいかけないでください!」
きり丸は困惑気味に団蔵と利吉の顔を交互に見る。
話が見えない。
奇妙なアクセントが置かれた”そのつもり”が何なのかまったくわからない。
けれど、利吉は団蔵の言っていることを理解したようで、眇めた目を団蔵に据えたまま黙り込んだ。

にらみ合いは暫く続いたが、
「でも…違うんだよな」
団蔵が利吉から視線を外してぼそりと零した。
「離したくないなら最初から離さなきゃいいじゃないか。 …きり丸がどんな気持ちだったか…利吉さんに、わかるんですか!?」

きり丸は、ああそうかと得心した。
話の内容は未だよく見えないが、団蔵が自分のために怒ってくれているのだということはわかった。
けれど、その件に関して利吉を責める権利は団蔵にもきり丸にもないのだ。
だって自分が勝手に利吉を好きになっただけなのだ。

「団蔵…もういいよ。ありがとな」
団蔵の肩をぽんと叩くと、きり丸は利吉に向き直った。
「利吉さん、…知ってるんでしょ、おれの気持ち……おれが、利吉さんを好きだって」
突然の問いに利吉は戸惑ったようにきり丸を見たが、やがて嘆息とともに頷いた。
「…ああ」
利吉は忍務のためならともかく、普段は嘘を吐いたり誤魔化したりということをしない。
このときも、下手に誤魔化したりぜずに認めた利吉に、きり丸は殊更明るく「そっか」と声を上げた。
「やっぱり、あのとき気付いたんすね。だから…」
「きり丸、それは…」
きり丸は「いえ、いいんです」と首を横に振った。
「ごめんなさい、利吉さん。オレが勝手に好きで…。 おれなんかに好かれて嫌だとは思いますけど…でも、安心してください。 これからはなるべく利吉さんの前に顔出さないようにするし、 仕方ないときは何でもない顔をしてますから。…好きなんて言って、気持ち悪がらせたりしないから…」
段々と俯き加減になりながら言葉を紡いでいたきり丸は、
「…違う」
呻くように小さく投げられた言葉に顔を上げた。
見上げた先では、利吉が小さく首を横に振ったところだった。
「嫌がってなどいない。もちろん気持ち悪いなんて思うはずがない。 あのとき気付いたのはきり丸の気持ちではなく、もっと別のことだ。 それに恐れをなして、私は逃げたんだ。だから…今日は本当はそれを謝りたくて来た」
利吉は一息にそう言った。

きり丸はぱちぱちと瞬きをする。
「恐れた…?利吉さんが?一体何を…」
「私が恐れたのは…私だ」
「え…?」

ざっと空気が動いたかと思うと、あっという間に眼前に立っていた利吉に顎を掴まれ強引に引き寄せられる。
気付いたときにはもう利吉の腕の中だった。
「……!」
間髪居れず降って来た、噛み付くような口付けは、まるで先日の再現のようだ。
ただ違うのは、一瞬硬直したきり丸が我にかえって暴れ出すと、すぐに解放されたことだった。

きり丸は口元を押さえながら呟いた。
「な、んで…」
「…怖いのは、自分でも抑えきれない自分自身だ」
そう言って難しげに寄せられた眉は、不機嫌でなく困惑によるもののようだ。
「自分でも驚いたよ。あそこまでするつもりなんかなかったんだ。 本当に、ただ追っ手を誤魔化すために、少し振りをしてもらうだけのつもりだったんだ。でも気づいたら…」
言葉を濁した利吉の目元がほんの僅か朱色に染まっていることに気付いたきり丸は、つられて真っ赤になる。
「あのまま共にいたら自分が何をしてしまうかわからなかったから、だから逃げた。 それが君を傷つけたなら、本当に…申し訳なかった」
呆然とこの言葉を聞いていたきり丸は、利吉が頭を下げたことではっと我に帰り、慌てて利吉の袖を引いた。
「そんな、謝らないでくださいよ!それも、おれが勝手に…」
利吉の腕に飛びついたきり丸と、顔を上げた利吉の視線が間近で絡まった。
互いの動きが止まる。

「…きり丸」
「は、はい」
思わず身を強張らせて返事をするきり丸の頬に、利吉の手のひらが遠慮がちに触れた。
「…まだ、早いと思っていたんだ。もう少し、せめてきり丸が学園を卒業するまでは待てると思っていた。 だけど、もう待てそうにない。だから」
もう片方の手も頬を包み、逃がさないよと言わんばかりに、指先に少しだけ力が込められた。
「だから、きり丸、君をもらうよ」
もらうという単語に反射的に口元が引き攣ったきり丸に気付き、利吉は「相変わらずだな」と苦笑した後、 「その代わりに私を全部あげるから」と耳元で囁いた。



















←前へ









2008.08.22








*** お手数ですがブラウザバックにてお戻りください ***