愛別離苦 (一)
忍術学園の教師というと一線を退いて久しいと思わがちだが、実際にはそうでもない。 全国の忍者に広いネットワークを持つ学園長からは今も極秘で忍務が言い渡されたりするし、 生徒への実技指導の時間だってある。子供だといって侮るなかれ。 学年を経るごとに体力、知力、そして忍者としての腕が飛躍的に向上する彼らを教え続けるのだ。 こちらも生半可な覚悟では望めない。 その上、学園そのものや、生徒たちを取り囲むトラブルに日常的に巻き込まれているのだから、 忍者の勘が鈍る間などありはしない。 けれど―― 「さすがに学園内で突然矢を射掛けられるとは思わなかったからなぁ…」 半助はぼやきながら、口と左手を使い、右手に器用に手拭いを縛った。 傷は浅かった。傷口から雑菌が入らないよう、念の為にこうやって手拭いを取り替えて傷口を縛ってはいるが、 出血はもう止まっている。 このまま雑菌が入らなければ数日で治る程度の傷。 だが掠り傷とは言え、単純によしとすることはできない。 「あの程度の攻撃、かわせて当然だったんだがな」 少なくとも普段ならかわせた自信がある。負け惜しみでなく、純然たる事実だった。 忍者として、自分の力を見誤る愚は犯さない。 しかも、手傷を負ってしまった理由ももうわかっている。 本来ならかわせたはずの攻撃――それが、自分に向けられたものであったなら。 余裕をもって避けるなり何かを盾にしてはじくなりできたはずの自分から、 余裕を根こそぎ奪ったのは、標的が自分でなかったからだ。 狙われているような気配は感じていた。警戒もしていた。 けれど、丁度そのとき校舎から出てきたきり丸がこちらに駆け寄ってくる様を視界に捕らえた瞬間、 頭の中が真っ白になった。 矢が飛んでくる方向、距離、角度、そんなものから計算して無駄なく避ける算段だったのに、 たった一瞬で、何も考えられなくなった。 『きり丸…!』 ただ、駆け寄って、庇うように小さな身体を抱き込み、横抱きに飛ぶ。それだけが精一杯だった。 「まったく…情けないことだ」 不甲斐ないと自嘲気味に溜息を吐くが、きり丸には怪我一つなかったことだけは評価してもいいと思う。 敵には明確にこちらを始末する意図はなかったようで、 半助がきり丸の無事を確認して体勢を整えた頃には既に気配も消えていた。 何かの脅しだったのか、それとも他に意味があったのかは未だ不明だ。 同僚たちにも事情の説明と心当たりを聞いてみたが、情報はあがってこなかった。 襲撃者のことは気になるが、半助にとってはさらに気になることがあった。 「あいつ…あまり気に病んでいないといいが…」 結果的に半助に庇われたことになるきり丸は、半助の怪我を見てひどくショックを受けていた。 声も出せないほどに青ざめて呆然としていた彼に、むしろ焦ったのは半助の方だった。 大丈夫だと何度も声をかけ、あやすように背を叩き、仕舞いには強張った頬をぺちぺちと軽く叩いたところで、 漸く目の焦点をこちらに合わせたきり丸は、顔を歪めたかと思うと、 「ごめんなさい、ごめんなさい」としゃくり上げながら半助に飛びついてきた。 銭が絡むと別だが、普段はこんな風に泣く子ではなかったから、 こちらもどうしていいか対処がわからず、再びただ「大丈夫だ、大丈夫」と繰り返しながら、 震える身体をぎゅっと抱き締めてやることしかできなかった。 あんなふうに泣くなんて予想外だ。 思わず、彼を助けられたことの安堵よりも、無傷できり丸を助けられなかったことに対する自己嫌悪に陥った。 おまけに、厄介な感情にまで気付いてしまった。 胸の中で、いつもの大人びた言動を忘れて幼子のようにただ泣きじゃくるこの子を守りたいと。 ただの庇護欲ならばよかったが、そうではなく。 この腕の中に囲い込んで、全ての危険から遠ざけ、他の何者からも守りたいと、そう思ってしまった自分に気が付いた。 それは、教師としても保護者としてもあってはならない感情だった。
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