人 魚 姫  恋 歌  #21






「もう、とく、さん…?」
花が呼びかけると、鋭かった視線が、含む棘を全て取り払い、柔らかな色で花を見下ろした。
「そうだよ、花ちゃん」
呆然と孟徳を見上げた花だったが、はっと顔を強張らせた。
「だ、だめ!孟徳さん、危な…!」
それまで孟徳に気圧されて動きを止めていた男が、隙を見つけたと思ったか、 引いた剣を即座に振りかざし、力任せに叩きつけて来た。
だが、
「遅い!」
合わせて太刀筋を切り替えた孟徳が、何でもないことのように軽く剣を横薙ぎにし、 いとも容易く相手の剣を弾き飛ばすのを、花は見た。
男は咄嗟に飛ばされた剣に飛びついたが、立ち上がることは叶わなかった。
「大人しくしろ」
槍の柄が、男のすぐ目の前の床に、がつっと鈍い音と共に叩きつけられた。
「げ…元譲将軍…」
動きを封じられた男は、かけられた低い声と、槍、それに堂々とした体躯で、相手が誰か察したようだった。
総大将として指揮を執る立場上、最近は前線で自ら剣を振るうことが減った孟徳の剣の腕は知らなくとも、 丞相の片腕であり、また八十万を擁する孟徳軍の中でも随一の猛将として知られる元譲の腕前は男もよく知っていたらしい。
さらに元譲の後ろには衛兵たちがずらりと並んでいる。
「く…っ」
逃げられないと悟って項垂れた男の身柄を、駆けつけた衛兵たちが左右から押さえつけ、引っ立てていった。
元譲は孟徳と花の方を向き直った。
「大丈夫か、孟徳!」
「遅いぞ、元譲」
律儀に問いかけてきた元譲に、孟徳は呆れたような声音で返した。
「す、すまん。…いや、そうではなく!お前が盾になってどうする!」
「どうする、と言われてもな」
あまりにめまぐるしく展開する眼前の状況に暫し呆然としていた花は、 嘗ては見慣れていた孟徳と元譲の他愛ないやり取りに、我に返った。
「…っ!」
孟徳の腕の中から身を翻そうとするが、当然それを予測していたのだろう孟徳にあっさり阻まれる。
「それで、君はどこに行く気かな?」
「は、離してください!」
「嫌だ。絶対に離さない」
頑として聞き入れる気のなさそうな孟徳を、花は悔しさと怒りで涙が滲む目で睨み付けた。
「駄目なんです!私は…孟徳さんとは、一緒にいられないんです!」
ふと、まずいと言わんばかりに孟徳が眉を顰めたような気がしたが、花はそれを気に留めることなく暴れた。
「お願い、離して…!」
「花ちゃん、お願いだから落ち着いて」
どこか焦ったような孟徳の声も耳に入らない。花は大きく頭を振った。
「駄目、駄目なんです!私が孟徳さんの傍にいたら、駄目なんです!お願い…!私に…」
私に、孟徳さんを不幸にさせないで―――
紡ぎかけた言葉は喉の奥で消え、代わりに、軋むような痛みと眩暈が花を襲った。
発作だと直感した。
けれどいつもより酷い。
息ができない。目がまわる。痛い。苦しい。
立っていられなくなり、がくんと膝が折れた花の身体を、咄嗟にすくいあげるように腕をまわした孟徳が抱きとめた。
「くそ…っ、発作か」
朦朧としていた花の意識に、舌打ちした孟徳のそんな呟きだけが辛うじて届いた。
なんで、と微かに動いた花の唇に、何かが近づけられる。
飲んでと促す孟徳の声も、既に意識が落ちかけている花には届かなかった。
ただ、そのまま何かを諦めるように目を閉じた花の顔を、誰かが強引に仰向かせた。
乾いて、ひゅうと音を立てるばかりになっていた唇を、熱い何かが割り、 直後に喉の奥に何かが流し込まれるのを夢現で捉えていた花の意識は、そこでふっと途切れた。







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2011.01.04














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