「やや、参られましたか、女官殿。体調はその後、問題ありませんかな?」
「はい。先日は診ていただいてありがとうございました」
献帝の計らいで件の医師と会えることになった花は、早速彼の元に赴いた。
先日発作を起こしたときに診てくれた医師は、やはり以前にも世話になったことのある好々爺といった感じの老医師だった。
「いや、なに。治療というほどのものはしておらんよ。
まぁ、立ち話はこれぐらいにして、こちらに来てお茶でも飲んでいってくだされ」
お礼を言いに来たのにもてなしてもらうのは申し訳ないと遠慮しようとした花を見越したかのように、
彼は「医者として少し確認しておきたいこともある」と続けた。
花は一瞬息を呑んだものの、すぐに気持ちを切り替えて「はい」と頷いた。
「単刀直入に聞くが、女官殿。これまでに毒を摂取したことはおありかな?」
「それは…」
どういう意味かと目で問うと、医師はふむと口ひげを撫でた。
「正直に言うと、女官殿、あなたの症状は、ある毒の作用とよく似ておる。
しかも飲み込んだのではなく、例えば刺されたり斬られたり、そういった手段で体内に取り込まれたときの症状とな」
心当たりのある指摘に花は目を見開いた。
「だが」と、医師は困ったように白い眉尻を下げた。
「わしの心当たりのある毒というのは、とても珍しく且つ貴重なものでな。
そういったものを専門に扱う一族や、あるいは裏稼業につくごく一部の者しか持っておらんし、
それも滅多なことでは使われん。だから女官殿の場合、
その毒のせいだという可能性は極めて低いと考えとるんだが、念のために確認をと思うてな」
「珍しい毒…ですか」
「うむ。近い例では――」
そこで、他に誰が聞いているわけでもないが声を潜めて続ける。
「丞相の暗殺未遂事件があっただろう。愛妾が身代わりになったというあの件。あれに使われた毒がそうだ」
花はびくっと身体を揺らしたが、声を出すのは何とか抑えることが出来た。
「その毒は強力で、体に受ければすぐにでも死んでしまうような代物なんだがね。
たまたま毒の効果が弱かったとか本人に耐性があったとかで、稀に生き延びる例がある。
その場合、女官殿と同じような症状が出ることがある」
「…そうですか」
何とも答えようがなくて、花は控えめに相槌を打った。
そんな花の反応の薄さに、医師は、花がこの毒に関して心当たりがないと完全に判断したらしく、頭をかいて苦笑いした。
「ああ、すまんすまん。女官殿に毒の心当たりがないのであれば、無用に怖がらせる話をしてしもうたな」
「…いえ。でも怖い毒なんですね」
「その通り。運良く生き延びても、そう長くは生きられん。
解毒できればなんとかなるかもしれんが、その材料がない状態でな」
「材料?」
「その毒だよ。何しろ元々貴重だった上に、丞相暗殺に使われてしもうたからな。
あの一件での丞相の怒りは凄まじいもので、入手元として暗殺者との関係を疑われることを恐れて、
その毒を所持している者は皆あれを捨てたという話だ」
確かに、それほど希少な毒であれば、入手経路は限られる。
丞相暗殺のための毒を提供したという疑いがかかってはたまらない。
心当たりがある者はもちろん、潔白の者も冤罪を恐れて毒を手離したという。
「まあ、もし毒がどこかにあったとしても、優秀な薬師と時間も要るからそう簡単ではないんだが…
いや、女官殿の場合は症状が似ているだけだから心配せんでいい」
「…そうですね」
とりなすように付け足した医師に、花は曖昧に笑った。
それからほんの少し雑談をしてから花は医師の元を辞去した。
「女官殿の体調の悪さの原因はわからんが、とりあえず無理は控えるのがよろしかろうな。
何かあったらまた来なさい。わしも、他に同じような症状が出ている例がないか調べてみよう」と言ってくれた医師に、
花は頭を下げることしかできなかった。
不要な労力をかけるのは申し訳ないが、流石に自分の体調の悪さが毒のせいだとは言い出せなかった。
言ったところでどうしようもないということもあるが、「丞相暗殺未遂のときに身代わりになった娘」と
自分が繋がるような危険は冒せない。
廊下を自室にむかって歩きながら、花はふとおかしくなって笑った。
とっくに知っていた話だったから当然といえば当然かもしれないが、自分でも不思議なほどショックは受けなかった。
ただ、ちょっと油断して、忘れそうになっていた事実を、目の前に突きつけられただけで。
花は何気なく外を見遣った。
空はどんよりとした灰色で心を浮き立たせはしなかったけれど、視線の方角には丞相府がある。
ここからでは何が見えるわけでもないが、花は暫く立ち止まって、何とはなしにその方角をぼんやり見詰めていた。
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2010.12.29
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