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「…ごめんなさい!」 二日後、献帝と面会した花は、挨拶も何もかもすっ飛ばして勢い良く頭を下げた。 発作は幸いにもそれほど重いものではなかった。 倒れたのは、興奮状態が酷すぎてブレーカーが落ちたようなものではないかと花自身は思っている。 だから復調も早く、ほんの一刻ほどで目覚めたときには、少々の倦怠感は残しながらももう起き上がれる状態だった。 それにも関わらず次の日を休息にあてたのは、世話をしてくれる女官が部屋から出してくれなかったせいだ。 どうやら帝からしっかり休ませろという旨のお達しがあったらしい。 現在、女官としてここにいる花が、同僚である女官に面倒を見てもらうというのも妙な話だったが、 やはり皇帝の言葉は絶対だ。皆、文句ひとつ言わずに親切に面倒をみてくれるので、寧ろ花の方がいたたまれなくなった。 それでも、同僚の女官も献帝も、自分のことを心配してくれているのがわかったから 昨日は大人しく寝ていたし、今日も出会い頭に心配をかけたことをまず謝った。 ――のだが。 暫く無言で頭を垂れていた花だったが、沈黙が長いのでそろりと顔を上げた。 「えっと……」 歳にそぐわない気難しそうな顔が無言でこちらを見ているのとばっちり目があった。 「あの……本当にごめんね」 もう一度謝ると、厳しい表情のまま、献帝が口を開いた。 「何を、謝っておる?」 「え?」 「何に対しての謝罪か、聞いておる」 「それは…その…心配させちゃったから。それに迷惑もかけちゃったし。 こんなところで倒れちゃうなんて、びっくりしたよね。本当にごめ…」 「そうではない!」 花は目を瞠った。 強い語調はまるでただの子供が利かん気を起こしたときのもののようで、 強い感情を滅多に表に出さないこの子供にしては珍しい。 「あれが初めてではないのじゃろう。医者が前にも似たようなことがあったと言っておった。 なぜ、黙っておったのじゃ!」 花は予想外の言葉に目を何度か瞬かせ、それから言葉が脳にゆっくりと浸透して、 漸く彼の感情の発露――どうやら怒っているらしい、の元に気付いた。 花の推測を肯定するように、献帝は続けた。 「会って暫くして、お前は朕に自分の意見を聞いた。そのときに言ったはずだ。 思ったことは口に出さなければ伝わらぬと。朕はそれに慣れておらぬゆえ、練習のため、 自分には思ったことを何でも言ってよいと。お前も朕に思ったことを話すから、と。それは嘘であったのか?」 ふた月ほど前のことになるだろうか、この世界に舞い戻ってきた花は皇帝の部屋に出現した。 その場で殺されてもおかしくなかったし、実際、花を見つけたときの献帝は 無表情のまま「誰ぞ――」と声をあげかけていた。 その子供の出自は後で知ったのだが、ともかく彼は幼いながらも皇帝で、 いくら相手が、暗殺者には到底見えない少女でも、その程度の危機意識はあって当然だったのだろう。 その時の花には、まだそこがどこかも、目の前の子供が誰かもわからなかったが、 「誰ぞ」と呼ぶ声の固さに反射的にまずいと思った。 「ま、待って…!」と身を乗り出した瞬間、ポケットから携帯電話が滑り落ち、 鈴のストラップがちりんと澄んだ音を立てた。 偶然だったが、結果的に花が助かったのはそのストラップのおかげだった。 人を呼ぶためにあげかけた声を飲み込み、子供は「それはなんじゃ?」と声をかけてきた。 最初は携帯電話のことかと思ったが、どうやら興味の対象はストラップの方だったらしい。 顔に感情が乗っていない為わかりにくかったが、視線がじっと集中しているところを見るに、 どうやらこの音が気に入ったらしいと判断した花が、突然現われて驚かせた詫びも兼ねて、 そのストラップの一つをあげたのが始まりだった。 ストラップの礼のつもりなのか、あるいは花の身なりが珍しくて興味を持ったのか、 ともかく皇帝の鶴の一声で、花は女官として城においてもらえるようになった。 女官といっても毎日少しの時間だけこの子供の話し相手をすることが主な仕事で、あとは雑用を少しする程度だ。 そうして話し相手をしているうちに、この子供が、以前孟徳からも話を聞いたことのある今上帝だということを知った。 過去の世界に跳んだときに、一時だけ一緒にいた赤ん坊がこれだけ成長したのだと思えば嬉しくもあったし、 同時に彼の境遇について責任を感じ、胸が痛んだ。 意見も感情も周りからまったく必要とされてこなかった彼は、驚くほどに感情を表に出さない子供になっていた。 ただ、そういった理由とはまた別に、感情を見せないのは彼自身を守ることにもつながるという話も 彼に仕える者たちから聞いた。 皇帝としての立場上、不用意に感情を荒げたり発言したりすれば影響は大きく、 また彼自身も性質の悪い名ばかりの臣下に都合よく利用されるであろうことも。 けれど、少なくとも政権とは何の関係もない自分を前にしているときぐらい、 もう少し自由に振舞っていいのではないかと思った花は、ある日、献帝に提案した。 「私になら何を言っても大丈夫だから、私で練習してみなよ。思ったことを口で伝えるの。 私も思ったことはあなたにちゃんと言うから」と。 花は「あ…」と小さく声をあげた。 嘘を吐いたつもりはなかった。 心配させてはいけないと黙っていただけだ。 けれど、そのせいで隠し事をされたと感じた子供が傷ついたのは確かだった。 花はぎゅっと唇を噛んだ。 嘘は吐かれずとも、本当のことを話してもらえないもどかしさや寂しさを 自分は誰より知っているはずだったのに。 「ごめん、なさい…!」 先ほどとは違う意味で再び謝ると、ややあって、「わかったならよい」とまだ拗ねた響きを残しつつも答えがあった。 ほっと笑みを浮かべた花は、ふと先ほどの献帝の言葉を思い出した。 「そういえば、お医者さんが看てくれたんだよね」 こちらの世界に来てから人前で倒れたのは初めてだが、倒れかけたりふらついたりしたことなら何度かあった。 そのときに、たまたま通りがかった医者に助けてもらったことを思い出すた。 「お礼言わないと。どこに行けば会えるかな?」 「では、あとで、お前が会いたがっていたと使いを出しておこう」 「うん。ありがとう」 「…うむ」 そこで花は、あれ、と思った。 お礼を言われて照れているというのではなく、何か言いたいことがあるような、そんな間があった。 果たして。 「…ところで、お前」 「え?」 「曹孟徳と知り合いか?」 「―――!!」 はっきりと顔色を変えた花に、献帝は納得したように「やはりそうか」と頷いた。 「ど、どうして…」 「倒れるときに、名前を呟いておった。覚えておらぬのか?」 覚えてはいない。 けれどあのときに頭にあったのは孟徳のことだけだったのだから、 名前を呟いても不思議でも何でもない。 まさかそれを聞かれた上に、正面きって聞かれるとは思っていなかったが。 献帝と丞相である孟徳の間柄が友好的なものでないということは、流石に花も知っている。 どう答えようかと迷ったが、思ったことは言うという約束をさっきの今で破ることはできない。 「…うん。孟徳さんのことは知ってるよ。私にいろんなものをくれた人なの」 「そうか」と献帝は頷いた。 非難が来るかと思ったが、予想は外れた。 特に不快感を持った様子はなく、暫し間を置いてから、まっすぐ花を見上げてきた。 「では、お前から見て、曹孟徳はどんな人間だ?」 どんなと聞かれてもと一瞬答えに詰まる。けれど献帝の真剣な目に、花も真面目に考え、そして答えた。 「孟徳さんは、まっすぐな人だよ。嘘も吐かないし」 「……誰の話じゃ」 「え?孟徳さんだよ?丞相の」 「…………」 そこでなぜ沈黙が落ちるのか。 孟徳のことは一言では語りつくせないが、とりあえずできるだけ客観的にまとめて わかりやすく答えたつもりなんだけどなと花は首を傾げた。
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2010.12.26