人 魚 姫  恋 歌  #9






「それにしても、まさかあの男がな…」
花が暗殺者だと示したのは、元譲もよく知る若い文官だった。
若いが優秀で気も回るので、元譲も孟徳への使いをよく頼んでいた。
もし今、花から話を聞いていなければ、明日の朝にでも孟徳への使いを頼み、 暗殺の機会を与えてしまうところだったと元譲は冷や汗を拭った。

花の話を聞いた元譲は、早速、信頼の置ける部下を遣り、文官の身柄を密かに確保した。
まだ取り調べを始めたところだが、これほど早々に計画が明るみに出たことで逆に諦めがついたのだろう、 大人しく内幕を話しているという一報は先ほど受け取っている。
「あの…未遂とはいっても孟徳さんの暗殺計画に関わったなら、厳しい処罰があるんでしょうか? あの人、騙されて手伝わされてる感じだったんですけど…」
「孟徳に刃を向けたなら無罪放免というわけにはいかないだろうな。 例え計画段階とは言え、それを見逃すとまた次が出てくる」
「そう、ですよね…」
悲しそうに俯く花に、元譲は言葉を濁す。
実際、己の命を狙おうとした者を孟徳が許すとは思えない。あれで規律に厳しい男だ。
だが、と元譲は花を見遣った。
「何ですか…?」
元譲は、その全てを引っくり返す存在があることを知っていた。
「…まぁ、お前が頼めば何とかなりそうな気もするが」
今回の暗殺計画の件は、まだまったく表沙汰になっておらず、というかそもそも計画はまだ何一つ実行されていない。
しかも情報を洗いざらい吐いているようだし、厳重注意や降格は免れないかもしれないが、 その程度で収まる可能性がなきにしも…いや、彼女が願うなら、 あっさり事件の存在自体を揉み消して無罪放免にしかねない。それはそれで問題なのだが。
そう考えた元譲は、そこで花の表情が曇ったことに気付いた。
「おい、どうした?」
「それは…できないんです。私は孟徳さんと会うことはできません」
「何だと…?」
元譲ははっきりと眉を顰めた。
瞳を曇らせてはいるが、花の視線と口調ははっきりしていて、確固たる信念を感じさせた。
「どういうことだ?戻ってきたのに、孟徳には会わないというのか?」
「はい。会えません」
迷わず答えた花に、元譲は暫し考え、
「会いたくない、ではなく、会えない、なんだな?」
「……」
言葉尻を捉えると、花は虚を突かれたように言葉を飲み込んだ。
その様子に、暗殺計画よりもこちらの方が難問かもしれんと元譲はがりがりと頭を掻いた。
「なぜ孟徳に姿を見せてやらんのだ」
回りくどいことは性に合わないと単刀直入に聞くと、花は困ったように視線を逸らせた。
「孟徳さんの中では…私はもういないものとして処理された方がいいんです」
「何を言ってるんだ。そんなわけないだろう。孟徳がどれだけお前に会いたがっているか…。 第一お前はどうなんだ、もう、孟徳には会いたくないのか?」
「会いたいです!」
間髪入れずに返された言葉の激しい語調に、元譲は押し黙った。
花の憤ったような強い視線が急速に力を失い、彼女は「でも」と肩を落とした。
「駄目なんです。私はあと半年ほどしかここにいられない」
「それは…元の世界に帰らなければならんということか?」
「………はい」
元譲は「む…」と唸って考え込んだ。
花の言うこともわかる。期限付きという前提であれば、例えば今彼らが再会できたとしても、 後のことを考えると素直に喜べない。
生死もわからず別れるよりは、無事に生きているとわかって別れる方が良いと思うが、 それが通用するのは数ヶ月前のあの暗殺の時点までの話だ。
孟徳はあのとき一度彼女を失っている。
さらに、それから無理に無理を重ね、精神は恐らく疲弊しきっている。
そんな男が、『もう一度』耐えられるとは思えない。
孟徳は次は何を押してでもきっと彼女を放さない。
そして、それが不可能となれば次こそ間違いなく壊れるだろう。
かといって、このままでは、近い将来、精神か身体かどちらかが先に音を上げるのは目に見えている。
どうしたものか、と考えていた元譲は、ふと、彼女自身の話をまだ聞いていないことに気付いた。
彼女はどういうつもりでここにいるのか。孟徳と会うつもりがないなら、 どうして女官のような格好をしてここにいるのか。
「…花。お前自身はこれからどうするつもりなんだ?というか、お前、今はどこで何をしているんだ? 女官として働いているのか?それにしては、見かけたことがないが」
矢継ぎ早の質問に、花は落ち着いた声で答えた。
「私がこの世界に戻ってきたのはつい最近のことなんです。 そのときにたまたまた出会った人のところで女官として働いています。 と言っても、行儀作法とかもまだよくわからなくて、そんなに女官らしいこととかできてないんですが」
「出会った人?」
「献帝です」
「………それはまた……」
返答の途中で、まさか花が騙されて良からぬ男に囲われているなんてことになってはいないだろうなと心配した元譲は、 予想だにしない答えに暫し絶句した。
流石に孟徳の選んだ相手というべきか。
たまたま出合ったのが献帝で、しかも匿ってもらえているという、通常では考えられないその強運は一体何なのだ。
頭を抱えかけて、そういえば孟徳が以前何かの折に彼女のことを、天運の元にここにいると評していたなと思い出して、 何となく納得する。
この国で実権を握っているのは丞相たる孟徳かもしれないが、形式から言えば献帝は国の最高権力者だ。
その庇護の下ならば安全だし、大人しくしていれば孟徳に気付かれることもないだろう。
孟徳に会わないという前提を込みで考えると、もっとも安全な場所を、天は彼女に用意したことになる。

「今は献帝……陛下のお話し相手になって、あとはたまにお使いで書簡や荷物を届けたりしてるんですが、 そのときにたまたま、さっきお話した暗殺計画を耳にしたんです」
それで決行日が明日だって知って慌ててこちらに来たんですという花に、 そういえば何か荷物を持っていたなと元譲は思い出す。
彼女は、その使いを後回しにして、本当に急いでこちらに来たのだろう。
元譲は思わず口元を綻ばせた。
気付いた花が首を傾げる。
「元譲さん…?どうしたんですか?」
「ああ、すまん。ちょっと嬉しくてな。お前も孟徳のことを心配してくれているのだなと… いや、それはともかく、…それで、これからどうするつもりだ」
咳払いをしてそう締めくくった元譲に、花は考えをまとめるように少し間をおいてからゆっくりと言った。
「…考えたんです。傍にいなくても私が孟徳さんのために何かできることはないか」
「孟徳のためにできること…?」
「はい。陛下とお話してて気付いたんですが、孟徳さんのことを誤解して悪く思ってる人って沢山いると思うんです。 考えや立場の違いで仲良くなれないのは仕方ないとしても、誤解してるだけなら、 その誤解を解けば、今は孟徳さんと敵対してる人の中にも、いずれは味方になってくれる人がいるんじゃないかと思って」
「孟徳の支持者を増やす、か」
「そんな大袈裟なものじゃないです。やっぱり考え方は人それぞれ違うと思いますし。 でも、もし誤解があるな、それだけでも解いて、孟徳さんの考えを少しでも理解してもらえたらいいなと思って」
そう言って花は静かに笑った。
元譲はふと違和感を覚える。目の前にいるのは間違いなく彼女なのだが、 彼女はこんな落ち着いた笑い方をする少女だっただろうか。
孟徳の我が儘を受け止める包容力はあったようだが、そういうのとはまた違う、この表情は―――
「それじゃ、私はこれで失礼しますね」
元譲が違和感の正体を突き止める前に、花が立ち上がった。
だいぶ遅れちゃいましたけど、荷物も早く届けないといけないですしと言って笑った彼女の表情は、 以前より見慣れたものだったので、元譲は違和感を胸の奥に仕舞いこんだ。
それよりも今は、彼女にひとつ提案してみたいことがあった。
それが彼女にとって良いことかどうかわからないので口に出すのは少し躊躇われたが。
「あ、ああ。助かった。礼を言う」
「いえ。…あの、どうか孟徳さんには私がこの世界に戻ってきたことは言わないでくださいね」
「わかった」
彼女が部屋を出るのを見送りながら、ぎりぎりまで逡巡していた元譲は、 彼女が扉に手を掛けたところで「ああ、ちょっと待ってくれ」と呼び止めた。
「何でしょうか?」
「…やはり、一度、孟徳に会っていかないか?」
「それは…」
できないと花が答えようとしているのがわかったが、彼女の目が少し揺れたことにも元譲は気付いた。
だから、畳み掛けるように言う。
「寝ている間なら…どうだ?」
「え…でも、それって孟徳さんが目覚めたりしたら…」
「大丈夫だ」
やけにはっきりと言い切って、元譲はそれから声を落とした。
「あまり大きな声では言えんが、今日、孟徳の寝酒に、眠り薬を少量混ぜ込む予定なんだ。 だから少々のことでは起きん」
驚きを見せた花に、元譲は、最近の孟徳の酒量が多すぎて、そろそろ身体に悪影響が出る頃なのだと説明した。 眠ることができずに酒を飲み続けるようだが、立場上、誰も孟徳を無理矢理止めることなどできない。 苦肉の策なのだと。
そして、孟徳はこのところ身体を酷使しているから、今ならほんの少量の薬でもよく効くだろうと。
間違いなく極秘事項であるその計画をわざわざ花に伝えたのは、孟徳に会いたいと本音をのぞかせた彼女への、 元譲の思いやりだった。
それを理解した花の顔がくしゃりと歪む。
「ありがとうございます、元譲さん」
「…礼を言うのはこちらだ。それに、たとえ寝ている間であっても、 孟徳にもお前と会わせてやりたいしな。その届け物が…今日の用事が終わったら落ち合おう。場所は…」
落ち合う刻限と場所を指定して、元譲は花を送り出した。







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2010.12.18














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