朝議の後、文若のまとめた議案を孟徳が執務室で確認していると、珍しく書簡を携えた元譲がやってきた。
「孟徳、調子はどうだ」
「朝からおかしなことを聞くな。別にいつも通り、」
元譲の問いかけに機械的に答えた孟徳が、ふと口を噤み、間を置いて続けた。
「…いや、いつもより良い、か。今日は久々に頭痛がない」
「そうか。それならいい」
「何だ?」
「いや、最近、寝酒の量が増えているだろう。飲みすぎは良くないと一度意見しておこうと思っていた」
「うるさい。酒量はお前も似たり寄ったりだろう」
「む…」
ごほんとわざとらしく咳払いした元譲は、書簡を差し出した。
「軍の予算をまとめた。確認してくれ」
「…そこに置いておけ」
「頼む。では」
心なしか急ぎ気味に部屋を出ようとする元譲を、孟徳は直前で呼び止めた。
「元譲」
広い背中がびくりと強張ったことで、孟徳は直感から沸いた推測を確信に変えた。
「この時期にお前が直接書簡を持ってくるとは珍しいな。いつも通り使いの者が来ると思っていたが」
「そ、うか?いや、少し時間が空いていたものでな。使いを頼むより自分で来た方が早いだろう」
「そうか」
頷いてみせると、それで孟徳が納得したと思ったのか、あからさまに安堵を浮かべた元譲は再度退出を試みた。
無駄なことを、と孟徳は内心で息を吐き、「なるほど」と聞こえよがしにひとりごちた。
「使いの官吏に、俺の暗殺を企てる者が紛れ込んでいたか。事前に露見するとはお粗末な話だ」
「な、なぜそれを…!」
思わずといった様子で振り返った元譲は、それからしまったと顔に書いた。
しかし、その頃にはもう孟徳の興味はその話題から離れ、視線は手元の議案へと戻っていた。
孟徳からすれば、九割の確信が十割に変わり、元譲は腹芸には向いていないと再認識しただけだ。
孟徳には及ばないが元譲も大概忙しい。
その彼が、特に内密の報告事項があるわけでもないのに、自ら書簡を届けに来るのはおかしい。
それならば、いつもの使いの者を『使えない理由』があったと考えるべきだ。
だが単純に怪我や病気なら、代理を立てればいい。
それができない場合を考えると、答えはいくつもない。
孟徳はその中からもっとも妥当なものを選ぶだけでよかった。
丞相たる己の暗殺など、珍しくもない。
元々、件の暗殺計画に関わった者への苛烈を極める対応への密かな反発はいずれ何らかの形で吹き出てくるだろうと
予想していた。
それを考えると寧ろ思っていたより遅いぐらいだ。
おまけに元譲のこの様子からして、露見したとは言え、広く知れ渡って騒ぎになっているわけでもないのだろう。
大体、そうでなければとっくに孟徳のところに別口で報告が届いているはずだ。
「も、孟徳…。いや、その…」
「処罰はお前に一任する。他に用がないならさがれ」
「わ、わかった」
まだ裏を調べている最中で報告できなかったのか、それとも孟徳に報告するまでもないと判断したのか。
どちらでも……というより、どうでもいい、と孟徳は思う。
だから、退室する元譲の、奇妙なほど安堵した表情を見逃した。
そうして、閉めた扉の向こうで、
「どうして露見したのか…理由を尋ねられればお終いだったな…」
元譲が小さく零した呟きにも気付くことはなかった。
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2010.12.02
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