移り香

 



「ダメよ、お兄ちゃん。男の人でもやっぱり身だしなみには気をつけないと」
先日実家に戻った時、開口一番、シェリルにそう言われた。


あのときは、カナン様のお忍びに付き合ったその足での帰宅だった。

『マリエルさんのところの飼いにゃんにゃんがまた行方不明になったらしい。行くぞセレスト!』

にゃんにゃんというのはどうしてあれほど気侭勝手に逃げ回るんだろう。
塀を越えて藪の中に入り、捕まえたと思ったらするりと手の中を抜け出して。
漸く捕獲したときには自分もなんだかぼろぼろになっていた、ような気がする。
その姿のままで実家に帰ったわけだから・・・



・・・あの格好は確かにちょっとまずかったか。

日も落ちているし誰の目に止まることもないだろうと、家路を急ぐことを最優先させた結果だったのだが、女性の、特に妹の目は厳しい。

「もうっ。ほら、髪の毛も跳ねてる!どこで何してきたのよ、お兄ちゃん」

その後、曖昧に笑いながら誤魔化すセレストに、気を取り直したようにシェリルは小瓶を取り出したのだ。

「そういうつもりで用意したんじゃなかったんだけど・・・。はい、これ。たまにはこういうの使ってみるのもいいんじゃないかしら」

受け取った小瓶に鼻を近づけると爽やかな香りが漂った。

「香水・・・?」

セレストが香水の類を自ら好んで付けたことはない。
特に騎士団という環境においては、そういった洒落たものを使う者などほとんどいなかったのだから。
少なからず当惑を浮かべたまま固まってしまったセレストにシェリルは頬を綻ばせた。
「この間、町で偶然見つけたの。お兄ちゃんのイメージに合ってるかなって思ったら、何となく買っちゃった」

兄としては、妹の笑顔と心遣いはやはりとても嬉しい。
セレストは礼を言って改めて妹からの贈り物を受け取った。




■ □ ■




実家から城に再び戻ってきた夜、自室に落ち着いたセレストは思い出したように、ポケットから香水の小瓶を取り出した。

妹が選んでくれたその香りは、それほど強いものではなく、ただ、ふと気が付くとその匂いがゆったりと全身を包んでいるといった感じの控え目なもので、セレストも好感を持った。
花より寧ろ緑溢れる木々を思わせる香りだった。

「オレってこういうイメージなのか・・・?」
自分じゃ全然ピンと来ないなぁ、などと呟きながら無色に近い透き通った緑色の液体を光にかざしていると突然ノックの音が響き、セレストは思わず香水の瓶を取り落としてしまった。
良かったのか悪かったのか。
落下地点がベッドだったため、瓶が割れてしまうことはなかった。
けれど拍子に蓋が取れ、中身がシーツの上にぶちまけられた。

「あっ」

慌てて拾うが、中身はもう半分ほど零れてしまっていた。

セレストは急いで窓を開け換気する傍ら、ドアの向こうの人物に向かって声をかけた。
「こんな時間にどうなさったんです」
「・・・何で僕だとわかったんだ・・・」
「はぁ。何となく。ああ、あとノックの仕方で」
複雑そうな面持ちでドアから顔をのぞかせたのは予想に違わぬ人物であった。

「そんなに独特なのか?僕のノックは」
「そういうわけではないのですが・・・長年の勘と言うか何と言うか」

それにこんな時間に何の遠慮もなくドアを叩くのはカナン様だけだ・・・と思ったのは内緒だ。

「ところでカナン様。何度も申し上げるようですが、このような時間に自室を抜け出してこられるのは・・・」
「あ〜〜。お前の言いたいことはわかってる」
「わかってらっしゃるなら実践してください・・・」
「むー。一々五月蝿いやつだな。今日は先日の件についてだ。マリエルさんからお礼にスキルをいただいてな。一番の功労者のお前に早く見せてやろうと思って」
「それは・・・まさかまた盗撮関連のスキルじゃないでしょうね」
警戒を含みつつ、しかし確かに興味を示したセレストにカナンは会心の笑みを浮かべてみせた。
「うむうむ。お前も気になるだろう?今すぐ聞きたいだろう?」
「・・・・・・。どうぞ、お入りください・・・」








部屋に足を踏み入れたカナンはくんと鼻を鳴らして、それから一度瞬きをした。
「何だ?この香りは・・・」
「すみません。きついですか?妹から香水をもらったのですが、今それを零してしまって。今、換気しているところなのですが」
「あぁ・・・いや、構わん」
「どうかされましたか?カナン様」

カナンは答えずにベッドの端に腰掛けた。
頬が少し桜色に染まっているのは気のせいだろうか。

「あの、カナン様?」

再度声をかけると、カナンは苦笑を浮かべてセレストを見上げた。

「さすがシェリルだな」
「は?」
「この匂い、お前のイメージなんだろう?」

見上げてくる淡い微笑に、セレストの心臓が跳ね上がった。







■ □ ■








「この香り、良いな」
「え?」

多少の気だるさと幸福感の中、ふいに漏らされた言葉を拾いきれずにセレストは反射的に聞き返していた。
身を起こし、傍らに横たわる人を見詰める。
露になっている白い肩のラインが目に眩しい。
目を細めたセレストの耳に、今度は幾分はっきりとした声が届いた。

「・・・・・・お前に・・・抱かれてるような気になる」

枕に顔をうずめてそんなことを呟く。

耳まで真っ赤になっているくせに。
そのくせ、こういう台詞を包み隠さず口にするのだから。


一瞬言葉を失い、それから伝染するようにセレストの顔にも朱が差した。


「・・・そんなことをおっしゃられると・・・」

「・・・何だ」


「・・・放せなくなります」

耳元で掠れた声が囁いた。








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