「兄上――。父上を、母上を、姉上を…この国を、どうかよろしくお願いします」 「カナン…」 頬の線や大きな目にはまだ幼さが残っているのに、浮かべる表情と瞳に宿る強い意志の光はひどく大人びていた。 見慣れたはずの最愛の弟の、見慣れぬ表情にリグナムは目を細めた。 いつかはこんな日が来ると知っていた。 この弟が、大人の目をして離別を告げに来る日がいつか来ることを知っていたはずだった。 その時がこんなに早くなるとは思っていなかったが。 ましてやそれが希望に満ちた晴れの門出ではなく、辛苦に満ちた嵐への旅立ちとなろうとは。 それでも、否、寧ろそれだからこそ止める言葉を持てない。 胸に穴の開くような寂しさも、可愛い弟を命懸けの厳しい旅に出す苦しさも、口に出すことはできない。 自国の民を守るために、カナンが自ら選び取り決意した道を、兄である自分が否定することなどできるはずがない。 カナンは、唇を引き結び、曇りのない目でまっすぐにこちらを見上げている。 この末っ子の方が、自分などより遥かに王に相応しい器を持っているのではないだろうか。 少なくとも、覚悟の面においては。 ふとそんなことを思い、微かに笑いを浮かべる。 「…戯言だと思って聞き流してくれたら…、いや、いっそ聞かなかったことにしてほしい」 頭ひとつ分小さい弟の体をぎゅっと抱きしめて呟いた。 「お前が…もっと不出来な弟であったらと思うよ」 「!」 これほどの才能に恵まれて運命に見込まれることがなければ。 命の重みを知りながらもそれを投げ出す機会を心得るほどの器でなければ。 目の前で他人が犠牲になるのを黙して見ていられない優しい子でなければ。 そうでなければ、こんなにも苦しい旅に送り出すことはなかったのに。 「だが、私は同時に……カナン、お前を誇りに思う」 「兄上…」 皆の見送りをやんわりと拒否した末っ子は、翌朝、静かに城を発った。 ただ一人、いつも共に在った従者を連れて。 …どうか、忘れないでいてほしい。ここがお前の国であるということを。 この国は、私の命に代えてでも守ろう。 目的を果たしたお前がいつでも帰ってこられるように。 お前に、故郷を失うなどという悲しい思いをさせないように。 己の精神と真実にかけて誓おう。 それが、兄としてお前にしてやれる唯一の餞だと私は信じている。 END. 2006.03.14/九堂紫 |