Calling
03:青い騎士と白い姫
上下も左右もわからない暗闇は、灯りが消えたとかそういうレベルの問題ではない。 別の場所に移動させられたのだと直感的にわかった。 ふと眉を顰める。 「…なぜ、”わかった”んだ…?」 今まで見たことも聞いたこともないような体験のはずなのに。 それに先程から身を苛むこの焦燥感は何なんだろう。 「僕は…早く…、早く……行かなければならないのに…」 頭で考えるよりも早く、口をついてするりと出た言葉にさらに違和感を覚えて自問自答する。 「”行く”…?一体どこへ……、…僕は一体…」 前髪を掻き揚げて額を押さえると、じっとりと汗が滲んでいた。 焦りと、不快感と、切望と、もどかしさと。 自身でも把握できないほどの種々の感情が脳内を駆け巡り、破裂しそうになる。 「く…っ」 まずいと思う間もなく視界が反転した。 「カナン様!」 ぐらりと倒れた身体を受け止めたのはあの青年だった。 「カナン様、ご無事ですか!?どこかお怪我でも…」 「あ、ああ…大丈夫だ。…どこも何ともない」 彼のおかげなのか、それとも単に一時的な発作のようなものだったのか、 いずれにしても先程の感情の奔流は少し落ち着いたようだ。 頭痛の治まった額から手を放し、ちらりと青年を見上げる。 気遣わしげにこちらの全身に視線を走らせる彼は、とりあえず大事はないと判断してか、ほっとした表情を浮かべた。 しかしそれもつかの間、すぐに青年は顔を引き締め頭を垂れた。 「申し訳ありません、カナン様。敵は先程倒したもの以外にもまだいたようです。 気配に気付けなかったのは私の落ち度です」 「いや…僕の方こそ何も気付かず…貴殿には迷惑をかけて申し訳ない」 青年と同様に頭を下げようとすると、焦った様子の相手に押し留められた。 「そ、や、止めてください、カナン様!頭をお上げください!主君が従者に頭を下げるなど…!」 「いや、そう言われても…」 自分自身にはこの青年が従者であるという認識はないわけだし、と言おうとしたが、 あまりに必死な形相に気圧されて、青年の言に従うことにする。 「ところで…ここは一体どこなのだろう?どうして僕たちはこんなところに…」 「この空間は、恐らく現実の空間ではありません。私たちを閉じ込めて足止めをするために作り出したものかと思われます」 「足止め…?」 「はい。…先程お話しましたが…カナン様のもっておられる宝玉を狙っている奴らがいます。 この空間を作り出したのは八割がたその配下…であれば、ここに我々を閉じ込めて足止めをし、 その間に奴らをここに呼ぶつもりかもしれません」 「その”奴ら”というのは…強いのか?」 「…はい。今出逢ってしまえば勝ち目はありません」 青年は瞳を険しくさせてそう言った。 先程、部屋に出現した黒い霧状の敵に素早く的確な攻撃を仕掛けた彼は、 ――騎士団のアーヴィングであるか否かの真偽を置いておくにしても――大層な手練れであることは間違いない。 その彼をしてここまで言わせるのだ。相手は半端でなく強大な敵なのだろう。 思わずごくりと唾を飲み込んだ。 青年の硬い声は続く。 「それに…足止めとは言っても、敵の狙いはあくまでも宝玉であって、 我々の生死は問わないはず。いつ攻撃してこないとも限りません。いずれにせよ、早く脱出するに越したことはありません」 「しかし、脱出と言っても、どうやって…」 「こういう手合いの場合、脱出方法は大きくわけて二つになります。まずはこの空間を作り出したものの本体、 あるいは核となるものを見つけて倒すか、あるいは、この空間ごと破壊、消滅させるか」 「空間ごと破壊、消滅…?」 そんなことができるのかと目で問うと、青年はなぜか困ったように笑った。 「この闇を祓うほどの光の魔法を行使すれば、恐らくは」 「この闇を祓う…?これだけの広大な暗闇をと?そのようなことができる者がいるのか?」 青年は眩しそうに目を眇め、こちらを見た。 口元がうっすらと綻んだのは何かを思い出しているからだろうか。 彼の眼差しからは、恐らくは脳裏に浮かんでいるのであろうその対象者への憧憬が見て取れた。 「……ええ、私の知る限りではたった一人ですが…その方なら光属性の高位魔法を以て、 この闇を打ち消すことができるでしょう」 「そうか…」 なぜだか、少し胸が痛んだ。 隙のない動作に、鍛えあげられた精神と肉体。端正な顔立ちも加えて、 それらは全て青年が一流の男であることを指していたから、その彼がこんな顔をするとは思わなかった。 庇護すべき対象に対してではなく、貴いものへの焦がれにも似たこんな表情を。 彼にこんな、憧れのような表情をさせる存在というのは一体どのような…と考えかけて頭を振る。 今考えるべきことはそんなことではないはずだ。 未練がましく頭の中に居座ろうとする感情を振り切って、意識的に思考を切り替えた。 今の彼の口ぶりでは彼自身にはその方法が使えないようだ。 もちろん自分にも使えるはずがない。 ならば今この場ではその方法は無理ということになる。 では、 「敵の本体、あるいは核となるものを見つければいいわけか」 「…今はその方法しか、ありませんね……今はまだ」 「?」 青年の答えに何となくひっかかりを覚えて問い返そうとしたとき、辺りを包み込む暗闇が不意に牙をむいた。 「っ!?」 しゅっと空を裂く音が先に耳に届いた。次いで反射的に辺りに走らせていた視線がその姿を捉えた。 闇の中から生まれたような、鋭い棘をもつ黒い蔓。 蛇のように見えたそれは、それより数倍早い動きで地面を這ったかと思うと、構える時間も許さず飛び掛ってきた。 「カナン様!」 「な、っ!?」 身体に感じた衝撃と痛みは、蔓にやられたものではない。 青年に突き飛ばされたのだと理解したのは、身を起こして見回した先、 今まで自分が立っていたところで、蔓に締め付けられる青年を見たときだった。 振りほどこうともがけばもがくほど蔓は身体にしっかり巻きつき、引きちぎろうにも鋭い棘が邪魔をする。 青年の腕や足からは既に血が滲み始めていた。 「ば…ばか者…っ!」 咄嗟に口をついて出た言葉はなぜかそんな台詞で、助けられて言う言葉ではないだろうと自分自身呆れたが、 なぜか青年は目を見開いて、それから微笑んだ。 表情そのままの穏やかさで言葉が続く。 「カナン様、どうかお逃げください。この蔓…そしてその先が恐らくは敵の本体…なんとしてでも私がこいつを倒します。 そうすればこの空間は解放される。…ですから、それまで巻き添えにならないよう、できるだけ遠くに逃げてください」 「な、何を言う…!貴殿を置いては…」 「私のことはどうぞ構わず、どうかお逃げください!」 「できるわけがないだろう!!」 悲鳴のような声になった。裏返る声を気にする余裕もなく、胸を締めるのは一色の想い。 (また僕は庇われて…大切なものを犠牲にするのか…!?また、何もできないのか…!?) 「……ま…た…?」 いつの間にか強く握り締めていた両手を開き、呆然と見下ろす。 見慣れた自身の手。 自分を庇ってくれた相手を助けることもできずに手をこまねいているしかない己の手。 非力な手。 けれど、この手は悔しさに握り締めるためだけのものではなかったはずだ。 この手は何かを為せたはずだ。 そのとき、再び襲った頭痛に、思わず膝をついた。 拭えない違和感。 知らないはずなのに知っていると内で叫ぶ声。 例えようのないもどかしさ。 全ての答えはすぐ近くにあるような気がするのに、確信に近い思いがあるのに、どうしても根幹にたどり着けない。 まるで、たどり着くのを何かが邪魔しているかのように。 「だが…っ、こんなところで…負けるわけには……いかない…!」 吐き気も頭痛も押しのけて、何とか立ち上がり、敵を見据える。 敵に捕らえられた青年には、諦めたような様子は欠片もない。 こちらに逃げるように言い続けながら、自身も抜け出すための懸命の努力をしているようだ。 蔓に巻きつかれてほとんど動かせない剣を何とかふるい、少しずつ相手の力を削いでいく。 だが、そうこうするうちにも、ぱたりぱたりと、蔓を伝って滴り落ちる赤い血の量は増えていくばかりだ。 「あんな無茶を…」 やめさせなければと足を踏み出した瞬間、視界の端に映ったものに、心臓がひやりと冷える。 闇の向こうから不気味に姿をのぞかせた、一際鋭い棘を持つ太い蔓。 恐らくは青年の抵抗に業を煮やし、一気に始末するつもりなのだと思われた。 そのまま青年へと飛び掛ろうとする動きに追い縋る様に、思わず叫んでいた。 「待て!お前たちの目的はこの石だろう!?石ならここにある…!だから…その男からは手を引け…!」 敵の目的が本当にこの石なら、狙われるべきは自分であって彼ではない。 彼がどう言おうと、彼一人を犠牲にするなどできるわけがない。 それに、彼の腕なら、もう少し拘束が緩めば自力での脱出も可能だろう。 できるだけ敵をこちらに引きつけ、せめて彼だけでも逃げられるようにと祈りながら、 迫る敵を見据え、服の中から宝玉を取り出した。 この暗闇の中でも、緑の石はきらりと光を放った。 光に反応したかのように蔓の動きがぴたりと止まる。 それから、正しい獲物を認識したように、一斉にこちらに向かって手を伸ばしてきた。 巻きつかれるおぞましさと刺される痛みは同時だった。鋭い棘を持った蔓は遠慮なくわき腹を這いずった。 「ぐ、う…」 さらに容赦なく締め上げられる感触に意識が遠のく。 それでも石だけは離さぬ様しっかり握り締めて、苦痛に耐える。 「カナン様…っ!?」 声に反応して薄く目をあけると、青年が未だ身に絡みつく蔓を、 血がさらに噴出すのも構わず無理矢理引きちぎろうとしているところだった。 目が合った瞬間、彼はこちらに手を伸ばしながら叫んだ。 「カナン様…っ!カナン様!!」 血を吐きそうなほど、必死に呼ぶ声。 この声を確かに知っていた。 『カナン様――!』 ずっと感じていた誰かに呼ばれているような感覚。 それとこの青年の呼び声がぴたりと重なった。 同時に脳裏を巡り始める記憶。 戦おうにも勝算はない。 命懸けで特攻をかけたところで一矢報いるどころか犬死にする未来しか見えない。 かと言って逃げることも叶わない。 どうしようもなく絶望的な状況で闇に塗りつぶされそうになった心を照らしたのは、 いつも自分の影のように寄り添い仕えてくれた「彼」だった。 そう。まだ「彼」もいる。 だから、まだ頑張れる。 まだ、諦めない。 『僕は、いつか必ず戻ってくる。ここへ――。そして、平和を…全てを取り戻してみせる。 だから…だから、お前は…っ、僕の名を、僕を、ずっと呼んで――――』 霞んで閉じかかる目を何とかこじあけて、あの時返せなかった言葉の続きを返す。 あの時呼べなかった、彼の名を。 「…セレスト…!」 呼ぶ声に応えた瞬間、頭の中が一気にクリアになった。 ずっとかかっていたうすぼんやりとした靄が晴れたような感覚のまま、 「カナン」は当たり前のように、両手を前へ突き出し構えた。 見据えるのはこの身を縛る蔓ではなく、その先にある闇に閉ざされた空間そのもの。 力を行使するための鍵となる言葉は自然と頭に浮かんだ。 「白色破壊光線…!」 力が指先に集まってくる感覚を懐かしいと思う前に、その手に生み出した白い光を解放していた。 |