「さて、そろそろ消えてもらおうかな」 ペロリと下唇を舐め、神の使いであったモノが禍々しい笑みを浮かべた。 「本当は八つ裂きにしてやりたいとこだけど、フォンテーヌの復活に協力すれば 兄ちゃんとその家族の命は助けるっていう約束だったしね」 「それに、忌々しい幻獣使いの末裔とは言え所詮は人間。殺そうが生かそうが我々の障害にもなるまい」 さらに、それと命を同じくするモノの声が重なる。 今までよくも隠し通せたものだと驚くほどに、彼らの内包する力は強大で凶悪だった。 (これでも8の内たった2なのか―――!) 堕ちたるエンジェルナイト。神々の使いであった彼らがその命に背き人間を狩り出したのはもう何百年も前のことになる。 今も伝説で語られるほどの恐怖。 そのときの彼らは八翼を有していたというが、その後封印されたときに分離して一翼ずつに分かれた。 それぞれの力は元の1/8。相手はそのたった2体。 それなのに、万に一つの勝機も見当たらないとは。 奥歯が軋むほど強く強く噛み締めた。 彼らの思うままに踊らされていた悔しさを、圧倒的な力の差への恐怖が凌駕しそうになる。 けれど一番怖いのは、諦めてしまいそうになる己の心だ。 負けたくない。負けるわけにはいかない。 けれどもう身体は動かない。不自然に歪んだのは視界だけではない。 脳内を無遠慮に蹂躙されるような不快感。 記憶に干渉を受けているのだと否応なく知らされた。 「くそ…っ」 何もかもがぼんやりとぼやけそうな世界の中、声が聞こえた。 「―――さま…っ」 必死に呼ぶ声が聞こえる。 無意識に彷徨った視線がその人物の姿を捉え、一瞬、ああ、と唇に小さな笑みが刻まれた。 宙を無意味に漂っていた視線が、急激に焦点を結ぶ。 彼を捉え、霧散しそうになる意識をかき集めて、願わくばこの声が言霊の威力を持てば良いと思いながら 一語一語、強く発音した。 「僕は、いつか必ず戻ってくる。ここへ――。そして、平和を…全てを取り戻してみせる。 だから…だから、お前は…っ、僕の名を、僕を、ずっと呼んで――――」 最後にもう一度「彼」の名前を呼ぼうとして、そこで襲い来る闇に意識を飲み込まれた。 |
広がった視界には、薄暗い、そろそろ見慣れてしまった天井。 「ゆ、め…?」 まだ太陽は完全にはあがっておらず、この町も、この店も、まだ眠りから覚めていないようだった。 しんと澄んだ朝の空気を肺に送り込みながら、ゆっくりと起き上がる。 「またあの夢だったな…」 すっかり伸びて頬の上やら首筋やらに広がる髪をうるさそうに掻き揚げ、 手早く後ろで一まとめにして立ち上がった。 癖のない髪は大人しく背中に収まる。 ふと、今しがた見た夢の内容を辿る。 夢の内容は詳しくは覚えていないが、荒唐無稽と言ってしまえるようなものであることは確かだ。 けれどただの夢と思うには現実味を帯びすぎていた。 夢の中、一番鮮明なのは自分を呼ぶ声だ。 不思議なことに自分が何と呼ばれたのかは思い出せないが、 それでもあれほど必死に誰かを呼ぶ声を他に知らない。 けれどどんなに思い出そうとしても、その人の顔すら思い出せない。 せめてその人の名を呼ぶまで目覚めなければよいのにと思うが、いつも夢はここで不意に途切れる。 まるで絶対的な力に引きちぎられるように。 「あれは…誰だったんだろう」 小さな呟きは、冷たい空気に溶け込んで消えた。 「姫、これ3番テーブルに持っていっとくれ」 「わかった」 手渡された皿を見て、おやと眉を上げる。 「新メニューか?」 呟きに気付いたのだろう、鍋の底をかき回していた厨房係の女性が耳元に唇を寄せてひそひそと囁いてきた。 「表向きは、体力のつく煮込み肉を加えた新メニューってことになってるけどね、 本当は野菜の値段があがって前みたいな野菜だけの料理が作れないのさ」 「そうなのか」 少しの驚きをもって相槌を打つ。 今年は気候もよく、作物の類は全て豊作だと思っていたのだ。 「噂では農業国のルーキウスから入ってくる量が減ってるってことだけど、まったくどうなっちまってるのかね」 煮込んでとろとろになったすじ肉をすくいあげて次の皿に盛りながらぶつぶつと呟く女性に軽い挨拶をして、 ホールへと向かった。 料理の皿を手に薄暗い店の中を見回した彼の視線が、入り口のすぐ近くの席に一人座る男を捉えたのは偶然だった。 彼は一人で酒を傾けていたが、つまみはほとんど手付かずで、グラスにもまだ酒がなみなみと残っていた。 違和感を覚えてそれとなく注意を払う。 日頃の鬱憤を晴らすかのように同席者と派手に笑いながら豪快に酒を飲みほしたり、 店の女の子にちょっかいをかけたりする男たちの中、そこだけが違う空間のように見えた。 目を凝らすと、このような夜更けの酒場には似合わないような、端正な顔を生真面目に引き締めた青年だった。 民間人と思うには些か視線が鋭すぎたため視察に来た役人かと眉を寄せたが、すぐに思い直す。 今のこの国で、こういった酒場を違法と取り締まることはないだろう。 せいぜいが袖の下を要求してくるぐらいだが、青年はそのような人間にも見えなかった。 何となく興味を持ち、給仕をしながら、気付かれぬようそっと青年を視界に納めてその様子を観察した。 マントを羽織ったままなのでよくわからないが、身体は細身ながらかなり鍛えられているようだ。 青色の前髪の間からのぞく眼光はやはり強い。濁りのない、まっすぐな目だと思った。 どことなく懐かしさを覚えるのは、自分のお気に入りの草原と同じ色の瞳を彼が持っているからだろうか。 ふと、青年の鋭い視線が自分に向けられていることに気付き、反射的に彼から逸らした視線を手に捧げ持った盆に落とした。 偶然かと思ったが、違う。 彼は、確かに自分を見ている。 どうしたものかと小さく溜息をつき、思案する。 そのとき、青年の唇がゆっくりと動いた。 『―――――』 声はとても小さなもので、耳で聞き取ることが出来なかった。 直感的に、自分を「呼んだ」ようにも思えたが。 (何だ…?) 何故だろう。 とても気になる。 意を決して、青年の方へと足を向けた。 |