「さて、そろそろ消えてもらおうかな」
不吉な宣告と共に放たれた光はあやまたずに彼を直撃した。
彼が戴いていた王冠は音を立てて地面に転がり落ち、衝撃に、嵌めこまれた緑の宝玉がはずれ、さらに地を転がる。
「く……っぁ……」
苦しげに呻きながら、それでも瞼を閉ざすことなく真っ直ぐに前を見据える青い瞳。
その瞳の光の強さとは裏腹に、彼の周りの空間は不確かにぐにゃりと歪んだ。
「カナン様!!」
「ふふ…大丈夫だよ。ちょっと記憶を消して遠くに飛ばすだけだから。殺しはしないよ。今はまだ、ね」
その言葉を信じるならば、今まさに時空の向こうに飛ばされようとしているのだろう、 徐々に輪郭がうすぼんやりと霞んでいく主君にセレストは必死に手を伸ばす。
けれど水の檻に捕らわれた身は、そこから一歩も動くことができない。
姿が薄れ行く中、意志の強そうな凛とした眼差しが、セレストを見た。
「僕は、いつか必ず戻ってくる。ここへ――。そして、平和を…全てを取り戻してみせる。 だから…だから、お前は…っ、僕の名を、僕を、ずっと呼んで――――」
「カナン様――!」

セレストの目の前でパチンと光が弾けた。

「あ……」
大きく目を見開く。
後には何もない空間だけが残されている。彼の姿は完全に消えうせていた。
心臓に冷水を浴びせかけられたような感覚。頭ががんがんと鳴る。
認めたくない現実。
けれど、残された言葉は脳内に徐々に浸透し、その意味を否が応にも伝えてくる。
「―――ッ」

目の前にいながら。
すぐ側にいたのに。
しかも、本来彼を守るはずの自分が逆に守られて。


いっそ、自分のことなど見捨ててくれればよかったのに―――

「カナン様…っ!カナン様―――――ッ!!」


薄暗い洞窟の中、悲痛な絶叫が木霊した。











Calling

01:Celeste










カツンカツンという足音だけが薄暗い石壁に囲まれたその空間に響いていた。
王宮というものは、いかに国が平和でも、今そこに住む人間がどれだけお人よしで騙されやすくとも、 やはり堅固な造りになっているものなのだなと思いながら、 緑色の小さな生き物を肩に乗せた美貌の青年はしっかりとした石組みの階段を下に向かって進んでいた。

「あれから早半年、か」
漏れた呟きに応える様に、緑色の生き物が「きゅるりー」と鳴き声を上げた。
「…ああ、スイ。大丈夫だよ。後悔などしていないから」
小さな体を摺り寄せてきたそれを「スイ」と呼んだ彼は、優しく緑色の背を撫でた。




長い階段が終わると、大きく広がる空間が突如としてその姿を見せた。
広さだけならまるで大広間のような空間だが、地下独特の冷えた空気と、唯一の光源である蝋燭のぼんやりとした光が、 ここが外界とは完全に隔離された世界であることを教える。
その中をゆっくりと歩くと、左右に何本もの鉄格子が立ち並んでいる。

ここは現在は使われていないが確かに過去には使われていたのだろう地下の牢獄だ。
これだけの数の牢があるところを見るに、今のこの国からは考えられないが昔は罪人が多く存在したということだろうか。
あるいは罪人ではなく捕らえたモンスターを収容するために使っていたのかもしれない。
この時代では閉鎖されたダンジョンに存在するだけのモンスターだが、 昔はもっと人々に近いところに沢山のモンスターが存在したという話もある。
いずれにせよ、この平和な世の中では考えられないことだ。
とは言え、この平和もそう長くは続かないかもしれない。

ルーキウス王国では、表面上は、リプトン王と皇太子であるリグナムの元、これまでと何ら変わりのない治世が続いていた。
けれど行方不明の第二王子とその従者のことについて誰も口に出すことはない。まるでその存在すら最初からなかったかのように。

極めて不自然で不安定な仮初の平和だった。
これらを為した「彼ら」は、王家の人間に対して、第二王子と同じく全て記憶を奪って各所に飛ばすと言っていたが、 計画を変更したらしく、城の人間は皆一見何も変わらない生活を送っている。
完全な力を取り戻すまでは誰にも異変を知られない方が得策と考えたのだろうと白鳳は思う。
ということはつまり、彼らが嘗ての力を取り戻したときがこの平和が崩れるときだ。
じわりじわりと近づく魔の手に地上の者は誰も気付いていない。
気付いたときには手遅れだ。ろくな抵抗もできずにこの国は沈むだろう。
600年前に封印したはずの堕天使の手によって。

「…そのとき、あなたはどんな顔をするのでしょうね」

白鳳は問いかけとも独り言とも取れる台詞を呟くと、一つの牢の前で歩みを止めた。
他には何の気配も音もないだだっ広い空間の中、その一つにだけ、人の気配があった。

「3日振り、になりますね。ご機嫌はいかがですか?セレスト」
「いい…わけが、ないでしょう」
「ふむ。そうですね」
搾り出すようにして返ってきた答えに、白鳳は顔色ひとつ変えずに指先で自らの顎をつまんで頷いた。
何気なく視線を下に落とし、やれやれと溜息をつく。
「また食べていないんですか?この3日間は私が来られなかったので わざわざ男の子モンスターに食事を運ばせたというのに」
これに対する答えは返ってこなかったが、白鳳にはそれを気にする様子はない。

牢に囚われている人物にさらに声をかける。
「いい加減、私につくつもりになりませんか?そうすればこんな所からはすぐに出してさしあげますよ?」
「それは、できない相談です。そちらこそ…こんなことは早くやめてください」
「こんなこと、とは?」
「全てです…!私をこうして牢に閉じ込めておくことも、王家の方々や城の者たちを操っていることも…!」
「後半部分は私がしていることではないので何とも申し上げられませんが――。 ですが、世の中知らない方が幸せということもありますよ?」
「な、にを…」
「知ったところで彼らにはあの堕天使をどうすることもできないでしょう。 それに、知れば苦しむことになりますよ?操られたとはいえ、息子に、あるいは弟に 謀反の疑いを着せて城から追い出した挙句、その本人は無謀にも堕天使に立ち向かって、そして―――」
「っ!言うな!!」

暗がりの中、奥の壁に背を預けるようにぐったりと座り込んでいる青年の、 普段はどこまでも穏やかだった瞳が今はぎらぎらと睨んでくるのを受け止めて、白鳳は目を細めた。

「セレスト。現実を受け止めた方がいいですよ。坊ちゃんはこの世界のどこかに飛ばされた。 全ての記憶を奪われた彼にはスキルすら使うことはできないでしょう。 そんな彼が今も無事に生きている保障などどこにもないのですよ…?」
「――――ッ!!」

長い沈黙が落ちた。
片方は反論の言葉を見つけられずに。もう片方は敢えてその沈黙をよしとして。
しかし、後者の表情は何かを探るような、待ちかねるようなものにも見えた。



やがて、静けさを取り戻した声が沈黙を払った。

「――白鳳さん。あなたの事情を知っている私にはただあなたを憎むことはできません」
「…お人よしですね」
「…それでも」
「はい?」
「それでも、もしカナン様に何かあれば私にはあなたを許すことはできない…!」
「…それはそうでしょうね」
許してもらうつもりなど毛頭ないと言い切る赤い目が闇の中で酷薄そうに光った。
見上げる緑の目は穏やかでありながら冷たい赤の視線に屈することはない。
暫く、無言のまま赤と緑が交錯した。

白鳳は不意に口元に笑みを刷いた。

「良い目ですね。その目に免じてひとつ良いことを教えてあげましょうか。”あの2人”は今この城にはいませんよ」
「…!?」
「昨日この城を発ちました。多分暫く戻っては来ないでしょう」
「…な、何故そんなことを私に教えるんです…!?彼らを裏切るつもりですか?いえ、それより彼らはどこへ…」
「さあ?まず私は彼らの仲間になった覚えはありません。利害が一致したから一時組んだ、それだけです。 ですから彼らの思惑についても私の与り知るところではありません。ただ、城を出る前に、 まさかあの石がまた必要になるとは思わなかったと苦々しげに言っているのが聞こえました」
「あの…石…?」
口の中で反芻した後、セレストは何かに気付いたようにハッと目を瞠った。

「…彼らは、東の方へ向かったようです」
セレストは白鳳を振り仰いだ。
けれど白鳳は既にセレストに背を向けていてその表情を見ることはできない。

来た道をゆったりとした足取りで戻りながら白鳳は思い出したように背後のセレストに告げた。
「…そうそう、先程の話ですが。あの、存外強かで賢い坊ちゃんのことですから、 実際のところ私は多分まだ死んではいないと思っているのですがね」
「…白鳳、さん…」

白鳳はそれきり振り返らずに地下牢を後にした。













白鳳が去ってからどれだけの時間が経っただろうか。
セレストは彼のもたらした情報を頭の中で纏めていた。
皮肉なことに、薄暗く静かなこの牢は考え事には非常に適している。

堕ちたるエンジェルナイト―――かつては神の使いでありながらも神の意に背き人間を狩り始めた八翼の天使。
600年前に滅ぼされたはずの、実際には一部が封じられ目覚めの時を待っていた彼ら。
全ての元凶であり、カナンを何処かへ飛ばした張本人である彼らの望みは八翼としての完全なる復活にある。
8つに分けられた彼らの力は今は3つ集まったに過ぎない。
そうであれば、彼らは今もなお他の力を解き放つためだけに動いていることだろう。
そんな彼らにとって必要であるという「石」は、「また」という言葉をから推しても、 間違いなく王冠に嵌めこまれていた、ルーキウス王家に伝わるあの緑の宝玉に違いない。

あのとき、王冠はカナンが頭上に戴いていた。
…カナンがセレストの前から姿を消したあのとき―――



セレストは耐えるように胸を押さえて顔を歪めた。
あの瞬間を思い出す度に訪れる、胸を裂くような痛みには慣れることがない。
そして意図せずして脳裏を過ぎる過去の幸せな幻影が、今となっては傷口を抉るばかりで。




意志の光を宿したあの青い瞳がどれだけ美しいか、自分はきっと誰よりも知っている。
意図せず零れる微笑みは勿論、してやったりの笑みもどこか憎めなくて。
ときに、ちょっとした思い付きに盛大に振り回されるころはあっても、側を離れたいとは思わなかった。
歪むことなくまっすぐに成長した心根と同じく、いつもしゃんと伸びた背筋を自分はずっと守ってきたのだ。

そんな風に敬愛と庇護の対象だった彼のことを、とにかく大事で、大切で、何にも代え難い存在だと気付いたのは この戦いの最中だったか。
操られた家族に城を追われた後、芝居でも何でもなく、かける言葉が見つからないほど意気消沈した彼の姿を初めて見た。
元より華奢ではあるが、その背がいつもより小さく見えて、何か言葉を、励まし慰める言葉をと急く思考とは別に、 気付けば手を伸ばしていた。
温もりを与えるために。
そう思ったのは嘘ではないが、そんな無償の感情だけではなかった。

この手で確かめたかった。そこに確かに彼がいることを。
そして一度触れた手は彼を離せなかった。それどころか強く抱き締めた。彼が、決して消えてしまわないように。



それでも理性は衝動をぎりぎりで押し留め、何とか彼を拘束する腕を解こうとしていたが、 振り返って見上げてきた彼自身によって覆された。
震える指先でぎゅっと抱きついてきて「離すな」と囁かれて、鉄壁だったはずの自制心はあっさりと陥落した。


あのときの彼の声も、表情も、温もりも、全て覚えているというのに―――。












「っ!」
セレストは大きく頭を振った。
違う。今は感傷にひたるときではない。
後悔も懺悔も後だ。今できることがあるなら、それを為さねばならない。

彼は、必ず戻るから、だからそれまで自分をずっと呼んでいてくれと言った。その目には諦めの欠片もなかった。
主君がそうであるのに、従者たる自分がこんなところで諦めることなどできない。



セレストは精神を鼓舞するように、握った拳を勢いよく膝に叩き付けた。
そうして過去へと意識を向けると、やはり訪れる痛みをやり過ごしてカナンが消えたときのことを再度思い出す。

あのとき、宝玉は王冠からはずれてカナンの足元に転がった。
その直後にカナンは消え、後には何も残っていなかった。
宝玉はカナンと共にある可能性が高い。
そして、その宝玉を求める彼らは東に向かった。
ということは―――













突如鼓膜を刺激したカチリという小さな音に、セレストの意識は現実に引き戻された。
騎士として鍛えた感覚は、僅かな物音を聞き逃さなかった。
ハッと目を上げ、そこにセレストは信じられないものを見る。

「これは…」
僅かに開かれた扉。
罠、にしては外には何の気配もない。
暫しそれを凝視したセレストは、それから我に帰ったように、 重い手足を叱咤しながらよろよろと立ち上がり、壁に手をつきながら扉の外へと向かった。















既にもぬけの殻となった地下牢で、白鳳は目を閉じ、ひとつ息を吐いた。
「やはり行ったか。…このまま逃げる選択もあるというのに…あれは間違いなく坊ちゃんの後を追うつもりだろうな。 相変わらず坊ちゃんのことで頭がいっぱいということか」
口調に悔しげな響きはない。それどころか、牢獄に閉じ込めていた相手に逃げられたというのに 彼の顔には微笑すら浮かんでいる。
無論、追う様子など欠片もない。

「きゅるりー」
肩の上のスイが気遣うように鳴く。
「心配しなくていいよ、スイ。彼らが戻ってくるまでここに留まる気もないからね。 私たちもすぐに城を出よう。第一、セレストも無理に閉じ込めた彼よりも、 坊ちゃんを守ったり振り回されたりしているときの彼の方が、らしくていい」

楽しそうにくすりと笑ってみせた顔がふと真剣なものになる。


スイにも届かないほどの小さな声を口の中で転がす。

「私には私の目的がある。そのために動いている以上、あなたたちに謝ったりはしない。けれど――」

どこでどうしているかわからないが、それでもできれば無事にいて欲しいと。 そして彼らの再会を願うのは偽善だろうか、と。
恋敵というだけでなく色濃く印象に残っているあのまっすぐな少年の姿を脳裏に浮かべ、白鳳は自嘲気味に笑った。

















2005.10.10/九堂紫
過去をいろいろ改竄。捏造万歳。







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