子守歌 (5)






「もうすぐ一年になるな」
政務の合間、ジェイドが外の景色を見ながらひとりごちた。
凪いだ表情には、迷いも憂いもない。
限りなく無表情に近いその中にあるのは、強いて言うなら解放感だったのかもしれない。
サフィルスは努めて平静を装いながら「そうですね」と相槌を打った。

一年はあっという間だった。
プラチナの欠けた穴は心情的だけでなく能力的にもやはり相当に大きかった。
有能な前奈落王を非常に優秀に補佐し続けていたジェイドがいたからこそ、 一年間、特に問題なくやってこれたとも言える。
けれど、それを差し引いてもアレクは奈落王代行を良く務めた。
アレクを認める声も一年前と比べて格段に多くなっている。
サフィルスも人員の体系を整え、各々の担当分野をわけてさらに人数を増やすことで、 アレクやジェイドの負担を減らしてきた。
継承戦争時代の部下たちも、何らかの形で助けてくれた。
城仕えはごめんだと元いた場所に帰る者もいたが、その場合もまた別の形で貢献してくれている。
ただベリルだけは、プラチナがいなくなったあの日から、一度も姿を見せていない。
彼がプラチナやアレクを生み出したことは、仲間内でもごく一部の者しか知らないが、 彼らの中では、プラチナの身体が丈夫でなかったことに責任を感じているのだろうという見解で落ち着いていた。
それから、彼にとってはプラチナは主君というより息子であったので、ショックも当然大きいのだろうと。

「そろそろ…」
ジェイドは最後まで言葉を続けなかったが、全ての事情を知るサフィルスには、 そろそろ傍に行っていいですかという続きの声が聞こえた気がした。
サフィルスは迷うように視線を泳がせた。
それから思い切ったように口を開いた。
「ジェイド…あの…」
意を決しての台詞は、無遠慮なドアの開放音に掻き消された。
「大変や!城下で暴動が起きよった!しかも扇動しとるんは、先王時代から仕えとった大臣クラスや」
「ルビィさん…!?」
サフィルスは、驚きの声を上げた。
ジェイドも振り向き、突然の訪問者を無感動に見た。
つかつかと大股で歩いてきたルビィは苛立ちを隠さずに、けれど音量だけは先ほどより潜めて苦々しげに言い放った。
「プラチナのこと、勘付きよったんや」
「まさか…それで、今このときに暴動を…!?アレク様は先ほど視察に出られたところだというのに…!」
何て間の悪い、とサフィルスは歯噛みした。
「あ、ちょ、おい、ジェイド!どこ行くんや!」
慌てたようなルビィの声は、すっと立ち上がると無駄のない動作で 部屋の外に出ようとしていたジェイドを見咎めてのものだ。
温度のない紫色がちらりと室内の二人を振り返った。
「愚問ですね。放っておくわけにはいかないでしょう。…プラチナ様の守ろうとしたこの奈落を壊そうとするならね」
言い残してするりと扉の向こうに姿を消したジェイドを、二人は慌てて追った。









暴動が起きたのは城のすぐ近くだった。
集団の中には城で奈落王に仕えていた者も多く、勝手を知る相手に城を守る衛兵たちも苦戦していた。
ルビィの言っていた先導者が、集団の先頭に立つ男だということにジェイドはすぐ気付いた。
見覚えがある。彼は城に勤め、奈落王に忠誠を誓っていた。
ただ一年前プラチナが公の場から完全に姿を消した後、表向きの理由は療養中のためとなっていたため、 一目でいいからプラチナに会わせてほしいと何度も請われた記憶がある。
もちろん承知するわけには行かないのでのらりくらりとかわすジェイドらに、 このままでは埒が明かないと暴動を決行したのだろう。
つまり、この暴動の究極的な目標は、奈落王への反旗などではなく、プラチナとの謁見。 ただプラチナの存在を確かめたいだけだろう。
リーダーが先頭に立っているのは勝ちたい戦争に赴くときではなく、自らの義を証明したいときだ。
ジェイドは暗く微笑した。暴動を起こしたぐらいでプラチナ様に会えるというなら、とっくにやっているさと呟く。
けれども、一瞬の瞑目で気持ちを切り替えた。
約束の一年は過ぎた。
だから、これがプラチナのための、最後の仕事になるかもしれない。
しかも、事はプラチナの名に関わること。下手な手は打てない。
ジェイドは策を講じながら、城門まで降りた。



「何の騒ぎか知りませんが、とりあえずお話を聞きましょうか」
高官であるジェイドらの登場に気付き、衛兵への攻撃を止めた相手方に向かって、 ジェイドは多少の棘はあるものの対話を呼びかけた。

「ジェイド殿か。貴殿が来られたのであれば話は早い。 奈落王プラチナ様に最も近い貴殿であれば、知らぬことはないはずだからな」
「おや、これはこれは。お久しぶりですね。最近城でお姿を拝見しないと思っていたら、 これはどういうことです?先王時代から城で仕えていらした忠誠心篤いあなたがまさか謀反を企てるとは」
話の腰を折り、さらに相手の内情を察しているくせに敢えてそう問うのは、相手をこちらのペースに巻き込むためだ。
「違う!謀反などではない!」
案の定、激昂した相手に、ジェイドは「ほう?」と片眉を上げてみせた。
「しかしこれは暴動以外の何物でもない。 静養されているプラチナ様のお心を乱すような行いを看過するわけにはいきません」
「…本当に奈落王は静養中なのか」
「どういう意味です?」
強い猜疑の視線にも怯むことなく、ジェイドが何を言っているのかと言わんばかりに眉根を寄せた。
後ろでは、サフィルスやルビィが固唾を呑んで見守っている。
「本当に、奈落王はまだ存在しておられるのか」
念を押すように問うてくる男は、ジェイドの表情の変化を見逃すまいと厳しい視線を向けてくる。
「黙りなさい。不敬ですよ」
ジェイドは眉一つ動かさず言い放った。
冷静だが高圧的な物言いは、奈落王の副官としてのジェイドの顔の一つだった。
必要であれば非情になれても、元来性格的に甘い一面を持つプラチナの代わりに、 否、ただプラチナを守るために、ジェイドは嘗てはこうしてプラチナに害を与える可能性のある者全てを プラチナの前に出すことなく排除してきた。

「いや、不敬は承知の上。何としてでも答えていただく。 なぜ奈落王は一年前より一度も我らの前に姿すらお見せにならない。 なぜ一言も奈落王よりのお言葉がない。なぜ一年経った今も、居場所すら隠される必要がある」
「わからない方ですね。プラチナ様は静養中と…」
「…なぜ、貴殿がここにおられる?」
「…っ」
言葉の意味を一瞬で正確に把握したジェイドは、不覚にも言葉を途切れさせてしまった。
一番痛いところをつかれた。
「即位前より参謀として付き従っていた貴殿だけは、 静養であろうと何だろうと、奈落城ではなく…いや、"奈落王"ではなく"プラチナ様"の お側におられるはずではないか…!?」

言葉が出ない。
男の問いは、この一年心の奥底にずっと燻っていて、あえて見ないようにしていた感情そのものだった。
なぜ、プラチナ様がいないのに自分はこんなところにいるのだろう、と。
考えてしまえば動けなくなることがわかっていて目を逸らし続けていた疑問を、唐突に直視させられた。

プラチナ様は私を信頼しているからこそ城にいろと命じて、だとか、 口にすべき言い訳はいくつか頭の中に浮かんでいた。
けれど動揺のせいで表面に噴出したジェイド自身の感情が、その言い訳を真っ先に否定した。
そんなわけがないと。
当たり前だと、脳内の冷静な部分も、その否定の正当性を認める。
元々、奈落王という存在に仕えていたつもりはない。ただプラチナの傍にいたかっただけた。
プラチナがもし本当に静養中で城を離れているのだとしたら、どれだけ城に仕事が残っていようと、 自分は間違いなくプラチナについていったはずだった。

自分でも今ここにいることの不自然さを知っているからこそ、問いに答えられずできてしまった間。
それは相手に、隠された真実の所在を知らしめるに充分だった。
目の前の男の猜疑に満ちた視線が、確信を湛えたものになっているのを見て、ジェイドは己の失敗を悟った。

「待ってください!プラチナ様がお休みである以上、ジェイドにまで抜けられては困ります。 ですから、プラチナ様に請願して副官であるジェイドを借りているだけのこと。そこまで不要に勘繰られるのは心外です」
憤った様子でサフィルスがジェイドの前に出るが、時既に遅く、 男は絶望と憎悪を瞳に乗せて、腰に下げていた剣を抜いた。
「サフィルス殿。貴殿にも、貴殿の主たる宰相アレク様にも恨みはない。 アレク様のお力ももちろん知っている。だが、我々が忠誠を誓うのは奈落王だけだ」
「…!」
サフィルスは息を呑んで身構えた。
「奈落王がご存命でないなら、事情はどうあれ、貴殿らは奈落王の名を騙り、 その治世に仇なす敵とみなさざるを得ない。それが、奈落王に忠誠を誓った我々の義だ」
リーダーの言葉に、集団は賛同の声をあげた。
ジェイドは瞬きもせず、成り行きを眺めていた。
何とかしないと駄目だということは頭ではわかっていたが、身体は言うことを聞かなかった。









次へ









2009.06.07




美麗背景素材はこちら↓よりお借りしております。






*** お手数ですがブラウザバックにてお戻りください ***