子守歌 (4)






彼はまさに道を照らしてくれる光だった。
まっすぐ前を向いて歩く彼を追いかけていたから、道を過たず歩くことができた。
彼はきっとどれだけの時間を経ても変わることはない。
だから自分もそんな彼の隣で、ずっとまっすぐに進むことができる、と思っていた。

逆に言ってしまえば、彼がいなければ、未来なんてただの光差さぬ暗闇。
きっと一瞬で崖から転がり落ちてまっさかさま。








「わかってたつもりだったんだが…これは想像以上だったな」
口元だけに笑みを刷いたジェイドの独白には一切の感情が篭もっていない。
ゆらりと歩くジェイドが目指したのは、プラチナが気に入ってよく足を向けていた場所。
最初は切り立った崖の縁に立つ彼を見て、何事かと肝を冷やしたものだが、 すぐに彼が見ているものを理解して胸を撫で下ろしたという経緯がある。
見上げればどこまでも続く空。さらに転じて眼下を見遣れば、 広がる町や森や砂漠、地平線まで続く景色は、まるで奈落全土を見渡せているような気分にさせる。
「プラチナ様は、奈落王としての立ち位置と責務を…自分が守るべき場所をいつまでも忘れないために、 ここから奈落を見ていたんでしょうがね」
それに、相当な高さがあるこの絶壁の端に立つと、良くも悪くも気が引き締まる。
今のジェイドには関係のない話だったが。
何の気負いもなく、右足を空にふみだろうとした瞬間、鋭くかけられた声が足を止めさせた。
「ジェイド、それは駄目です。許されません」
「サフィルス…」?
「プラチナ様の後を追う事は許されません。そのおつもりでしたら、私が全力で阻止させていただきます」
魔法を発動させる用意をしているのは、万が一ジェイドが飛び降りたとしても致命傷にならないようにするためだろう。
「もし無理矢理実行しようとしても、即死でない限り何としてでも治療しますから無駄ですよ」
「サフィルス、お前…」
ジェイドは唸るように低く呟いた。
同時に、ジェイドのどことなく虚ろだった目に、苛烈な炎が宿る。
継承戦争が終わってからは滅多に見せることがなくなっていた、邪魔する者を全て排除せんとする強くて獰猛な炎。
「お前…何の権利があって、俺の邪魔をする…!お前は、お前の王子サマのところに戻ってろよ!」
「そういうわけにはいきません!」
サフィルスは負けじと声を張り上げた。それから、ふっとトーンを落とす。
「…プラチナ様の、頼みですから」
「な、に…?」
思いも寄らぬ名に、ジェイドの動きが止まった。
「プラチナ様が寝込まれてから…あなたとアレク様が珍しくプラチナ様の側を離れたときが一度だけあったでしょう。 あのとき、プラチナ様が私に仰ったんです。アレク様と…ジェイド、あなたのことを頼む、と」
「プラチナ様が…?」
紫の瞳が、サフィルスの目をじっと見た。その奥に、誰かの影を探し求めるように。
「ええ、プラチナ様は…あなたに、自分の後を追わせないでくれ、と。 もしそうしようとしていたら止めてくれと仰った。ですから私はあなたの邪魔をします。 あなたの希望なんて知りません」
「お前…」
一瞬瞳に宿った怨嗟の色は、すぐに解けて消えた。
代わりに浮かんだのは、愛しい者を見るときの優しい、けれど少し切ない色。
もうその目は、眼前のサフィルスを捉えていない。
「…プラチナ様…そこまでして俺を引き止めて…俺の供はそんなに不要ですか?」
「ジェイド…」
「俺は貴方に、傍にと願った。別に天上よりも奈落を選んだわけじゃない。 ただ貴方の傍だけを選んだんだ。貴方の傍なら奈落でも天上でも、…黄泉でもよかった」
独白は、普段本音を語らないジェイドの掛け値なしの本音だった。
サフィルスは何か言葉をかけようと逡巡する。けれど結局かける言葉が見つけられなかった。
今のジェイドはサフィルスの存在を認識すらしていないだろう。
プラチナだけに向かおうとする意識は、彼のいないこの世界ではなく、 彼が存在する己の内面世界に向かおうとしている。
このままでは、身体は生きたとしても精神は死んでしまう。
表面上は生き続けながら、静かにじわじわと自分の心を殺してしまうことが目に見えていた。


サフィルスは黙考した。
彼の中にはいくつかの選択肢があった。
彼自身にもどれが正解かなどわからない。
(プラチナ様…)
心の中で答えを求めるように彼の人の名を呼んだサフィルスは、 それから、決意したようにまっすぐにジェイドを見据えた。
「…わかりました。ジェイド。そこまで仰るならもう止めません。 ですが…あと一年だけ、待っていただけませんか?」
ジェイドがのろのろと顔を上げてサフィルスを見た。
そんな動作も、全てがジェイドらしくない。サフィルスは正視できずに、視線を心持ち逸らしながら口早に言った。
「プラチナ様のことはまだ民には隠されています。混乱が起きかねませんから。 本来ならアレク様にご即位いただくところですが、まだその時期ではありません。 ですから、このまま暫くプラチナ様の不在を隠したい。そのためにはあなたの力が要ります」
「…混乱だろうが暴動だろうが、奈落がどうなろうと俺の知ったことじゃない」
「…っ、ジェイド!」
「……だが……、あの人は、きっと悲しむんだろうな」
ジェイドは薄く笑ったようだった。
「ジェイド…。…何もずっとというわけじゃありません。一年です。 一年後にはアレク様が王位につかれても何の問題も起きないようにしてみせますから、ですから…」
「…もういい」
「え?」
「それもきっと、プラチナ様の願ったことなんだろう?」

王が代わるときは国が乱れるとき。
ただでさえプラチナの在位は、前奈落王のあまりに長い治世に比べて短すぎた。
国民からの完全な信頼を勝ち得るには時間が足りなさ過ぎる。
しかも王位を渡そうとしている相手は、王位継承時に争った兄。
本人たちの間にわだかまりはなくとも、国民からすれば、嘗て王位をかけて命懸けで争った相手と仲が良いなど、 決して信じられることではない。
今のアレクは、大多数の奈落の民にとって"元敵"である。
国民の中には、プラチナがアレクを取り立ててことについては、快く思わない者と、 私怨を超えて才能ある人材を登用していると支持する者がいる。
新王には情があるという理由でプラチナを支持した者たちもいたが、 力が全ての奈落において、そのような意見を堂々と口に出すのは自殺行為であるため、 表面上は前者の二層が奈落の世論を二分していると言っていい。
いずれにしても今アレクが全権を握れば不満が噴出するのは火を見るより明らかだった。
アレクに国王権限をスムーズに移譲させるには、少しずつ民からの信頼を得ていくことが必要だ。
一年で信頼を得るのは難しいことだが、アレクはプラチナとはまたタイプの違うカリスマを持っており、 サフィルスを含めた部下たちと協同でことにあたれば、何とかなるのではないかとジェイドは踏んだ。

「一年なら付き合うさ。プラチナ様への手土産になる」
本当は、プラチナのいない世界など何もかもどうでもいい。
けれど、一年という期限付きであれば、プラチナの願いに沿って生きるのもいいかもしれない。
「このまま後を追ったら、黄泉の国でプラチナ様に会った瞬間に手討ちにされそうだからな。 それに、どうせ死のうとしてもお前が邪魔をするだろうし」
サフィルスは、こうと決めたら引かない頑固なところがある。
その性質が遺憾なく発揮されたときには、ジェイドですら驚くほどの粘りを見せる。
「それなら、俺を建設的に使った方がいい。プラチナ様の望みのために」
自分を物のように扱う台詞に、サフィルスは眉を顰めたが、特段文句をつけることなく、 ただ「お願いします」と深く頭を下げた。









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2009.06.07




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