ないものねだり


「土井先生って、わたしのこと羨ましいと思ってますよね?」
「乱太郎?なんだ?突然」
「…」
「…」
半助はやれやれと頭を掻くと、「まぁな」と答えた。
乱太郎は驚くでも得意げになるでもなく話を続ける。
「でも、わたしは先生が羨ましいと思っている、ってことも、先生は知ってるんですよね」
「……ああ」
羨ましいのは、それこそが「彼」が一番欲している存在だから。
自分には決して立てないその位置。
「せめてあと十年早く生まれてきてたら良かったな」
ぽつりと呟くと、半助が苦笑しながら乱太郎の頭をぽんぽんと叩いた。
「何を言ってるんだ。そうしたらお前ときり丸は出会えてすらいないかもしれないぞ」
「それはそうですけど…」
「それに、それを言うなら…私も、あと十年遅く生まれてきていたらと…思うことがある。たまにな。……たまにだぞ」
くどいほどの念押しに、「わかってますって」と笑って返す。
彼が自分を羨ましいと思うのは、これがきり丸と一番近い位置だから。
楽しいことも辛いことも全てわかちあう彼の隣の位置。
けれども彼の一番にはなれないのだけれど。
俯きがちになった乱太郎の隣で、半助は大きく息を吸いながら空を見上げた。
「親なんてのは寂しいもんだぞ。いずれどこの馬の骨ともしれぬ奴にもってかれるんだからな」
「今だけでも一番でいられるならいいじゃないですか。…っていうか先生、 それってまるっきり、娘をもつ父親の台詞ですよね」
「うるさいぞ」
乱太郎も半助に倣って空を見上げた。開放的な青い空。
「でも先生、わたしは別に今の位置が不満なわけじゃないんです。 この位置にいられて良かったと思ってます。ただ、たまに羨ましいと思ってしまうだけで」
「奇遇だな。私もだ」
「結局、ないものねだりってことですよね」
「違いない」
互いに苦笑して、再び青い大空を見上げた。





2008.11.15 













スキンシップ


「七回目、と」
筆を持ち、乱太郎はえいと一本縦に線を引いた。
「あれ?乱太郎、何やってるんだ?」
通りかかった団蔵が、ひょいと乱太郎の手元をのぞく。
「これ、何?」
と言いながら乱太郎の視線を追った団蔵は、級友たちと担任教師の姿を見つけて「あ」と口を開けた。
実によく見る光景だ。担任である土井半助を生徒が囲み、 半助はと言えば、一番近くにいたきり丸の頭に手を置いて苦笑いをしている。
「はい、八回」
乱太郎が、手元の紙にぐいと横棒を足す。
「…乱太郎…もしかして、それって…」
どこか脱力したような団蔵の声に、乱太郎は頷いた。
「この際だから一度はっきり回数でも数えてみようかと思って」
何がこの際なのかは、それこそこの際置いておいて、
「担任として生徒を平等に可愛がってくれてるのはわかるんだけど、 こういうとこに無意識に出てることに土井先生気付いてるのかなぁ」
団蔵は溜息混じりに漏らした。
「…気付いてないんじゃない?」
お互い、恐らくは無意識のうちに互いの側に寄ってしまうのも、 そうやって近くにいれば無意識に触れてしまうのも気付いていないに違いない。
自覚していたら、とてもあんな風に自然に。 でもいったん気付いてしまえば今まで気付かなかったことがおかしいぐらいにあまりにあからさまな、あんな風には…
「あ、九回」
再び筆を構えた乱太郎に、団蔵は「はは…」と乾いた笑いを浮かべた。





2008.07.15 













距 離


「聞いたぞ、半助」
「は?何をですか?山田先生」
授業後、教材を片手に廊下を歩いていた半助は、後ろから肩を叩かれ振り返った。
「きり丸が家の布団を勝手に売り払ったそうじゃないか」
同じく授業を終えたところなのだろう、同僚であり先輩でもある山田伝蔵は、半助と並んで歩き出す。
「そうなんですよ。まったくあいつときたら困ったもんです」
頭をかく半助に、伝蔵は「おや」と首を捻る。
半助の顔は苦笑いであって、それ以上の不快を示すものではない。
「”土井先生”、あーた、それでいいんですか?」
「え?…あ、ああ!」
呼び方を変えて少し改まった口調に、伝蔵が言わんとするところを察したらしく、 半助は少し困ったような表情を浮かべた。
「すみません。怒るべきだとは思うんですが…いえ、毎回怒ってはいるんですが、どうにも本気で怒れなくて。 あの子は聡い子ですから、多分わたしのそんなところに気付いているのでしょう」
確かに、あの問題児三人組は何度も同じような過ちや悪戯を繰り返すが、それはあくまでも悪意のないもの、 あるいは偶然の産物だ。
特に、不運といわれている乱太郎や天然のしんべヱと違い、きり丸には冷静に相手を見ているところがある。
半助に世話になっているという自覚も恐らくあるだろう。
いくら相手が担任教師とは言え、それだけで子供らしく無邪気に頼る性質には見えない。
だから、半助が本気で怒れば同じことは二度としないと思うのだ。
それはわかる。伝蔵にしてみれば、理解できないのはきり丸の方ではなく半助の方だ。
ちらりと視線をやると、半助は丁度何かを思い返すように口元を緩めたところだった。
「距離をね、測っているんじゃないかと思うんですよ、わたしとの」
「距離、か」
鸚鵡返しに言うと、半助はゆっくりと頷いた。
「ええ。一体どこまで近付いていいのか、甘えていいのかを手探りでね」
人慣れない猫が、一歩一歩、様子をうかがいながら近付いてくるような、と言えばさすがに失礼ですかねと笑う。
「教師としてはきっちりと一線を引くべきだとは思うのですが、わたし個人としてはそれが嬉しいんですよ」
伝蔵はあごひげをさすりながら、ふむと頷いた。
「まぁ、わからんでもないがね。しかし……いや、まぁよい」
言葉を切らしたのは、こちらに近付いてくる気配を読み取ったからだ。
間を置かずして、遠くから駆けて来る足音が耳に届いた。
「せんせー!」
「どうした、きり丸」
「大変なんですよ!今、喜三太が風魔忍者から伝言を受け取ったらしいんですけど、また学園に刺客が…」
伝蔵は無言で半助の荷物を取り上げた。
「山田先生?」
「学園長に報告したらすぐにそちらに合流する。土井先生は先に生徒たちのところへ行ってやりなさい」
「わかりました」
半助は頷きをひとつ返すと、きり丸を促した。
「行くぞ」
「はい!」
二人が廊下の向こうへと姿を消した頃、伝蔵は浅く息を吐き出した。
「あれでは諭す気も失せる」
息を切らせてこちらに走ってきたきり丸。
顔を彩っていた隠し切れない不安が、半助の顔を見るや、瞬時に消えうせた。
本人たちは意識していなくとも、こんなときに深い信頼が垣間見える。彼らの間にある深い絆も。
「引き離してもどちらにも良い影響があると思えん。それに――」
二人のどちらをも知る伝蔵にとって、これほどの繋がりをもつ二人を引き離す気には到底なれなかった。
彼らが近付きすぎるのが良いかどうかはわからない。
いずれ依存関係になってしまえば、忍びとしては致命的だろう。
懸念はそれだ。
だが伝蔵はこれを是とした。いずれのことはわからないが、少なくとも今は。
「――早いところ、最も良い距離を見つけるのだな。半助、きり丸」
まるで息子が増えたような気分だとひとりごちながら、伝蔵は二人の未来を想った。





2008.07.13 













補 完


「きり丸、お前なぁ…」
半助は成績表を片手に溜息を吐く。
半助の真正面で、一応神妙な顔で正座している子供の成績が下がったから、ではない。
むしろ逆だった。
一年のときあれだけ悪かった成績は、気付けばぐんぐんと上昇していた。
学年が上がると授業に専門性が増すため、いくつか臨時講師を迎える授業もあるが、 今期の臨時講師からの評価は軒並高かった。
同じく担任で実技担当の伝蔵も、満足げに自身の顎ひげを撫でながら彼への褒め言葉を口にしていたぐらいだ。
半助の担当分についても、国語などの通常教科は優秀な部類に入っている。
ただ、半助自身がもっとも得意とする火薬と兵法を除いて。
「なぜ、よりによって火薬と兵法が駄目なんだお前は」
「え?」
「両方、わたしの専門じゃないか」
半助にとっては組は全員「うちの子」だが、 休みの間だけとはいえ手元に引き取り寝起きを共にしているきり丸に対しては特にその思いが強い。
その彼が、他の授業の内容は乾いた土のように吸収しているというのに、 よりによって自分の得意なものだけを拒んでいるというのは、正直なところ少し気が滅入る。
総合的に見れば褒めてもよい成績なのに、小言のようなことを言ってしまうのはそのためだ。
しかしきり丸は、きょとんとして、不思議そうに小首を傾げた。
「だからじゃないですか」
「だから?」
「だって先生が得意なことなら、ぼくができなくてもいいでしょ」
だって、先生がいるんだから。
きり丸の言わんとしているところを察した半助は、緩む頬を止められず、誤魔化すようにごほんと咳払いをした。



2008.07.06 







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