月酔い
その日は町の寄合があったので、少し酒が入っていた。 忍者として、酔うほどの量は摂取していないつもりだったが、 それでも久々の酒だったこともあって、やはり少し酔っていたのかもしれない。 「なぁ、きり丸」 「何ですか?土井先生…っていくら裏口っていっても、戸を開けっぱなしにしないでくださいよ」 それに、丁度ドクタケの悪巧みをひとつ潰したところで、気が緩んでいたのかもしれない。 より正確に言えば、例によって例のごとく、運悪くと言おうか何と言おうか、 秋休み中にもかかわらずどういうわけだか、は組全員が首をつっこんでしまったドクタケの悪巧みが 何事もなく無事に解決して、ようやく皆が実家に帰り安堵した、ということなのだが。 「そう言うな。おまえも見てみろ。ほら、月がきれいだ」 浅く笑って呼びかけると、二人分の布団をずるずると引っ張り出していたきり丸がこちらを振り返った。 「月見もいいですけど、先生、酔ってるならそんなとこで座り込んでないで早く寝た方がいいっすよ。 ぼくも早く寝ないと。明日もバイトで早いんですよ」 「バイト、か。…おまえ、フリーターでなくどうして忍者になろうと思ったんだ?」 「そりゃ、その方が将来食うのに困らなさそうですから」 今更何を聞くんだとでもいうように腰に手を当てたきり丸が答えた。 この日は、見上げる月があまりにきれいで。 だから、らしくもなく感傷的になっていたのかもしれない。 そうでなければこんな質問が飛び出すことはなかったに違いない。 「きり丸」 「もー、だから何なんすか!ほら、酔っ払って生徒に絡んでないで、早く寝てくださいよ。布団敷きましたから!」 呆れ顔のきり丸がわたしの前までやって来た。 布団まで引っ張っていこうと袖を掴んだきり丸にわたしは、 「復讐を、したいとは思わないのか?」 自分でも感情のこもらない冷たい響きだと思った。 きり丸は動きを止めた。 呆れが前面に出ていたときすら奥底の親愛を隠そうとはしなかった瞳が、俄かに鋭さを帯びた。 眦が切れ上がった大きな目が、探るようにこちらを見詰めてくる。 このときやはりわたしは酔っていたのだろう。 失言だったと取り繕うどころか、ただ見詰めてくる透徹な瞳を、綺麗だと思いながらぼんやりと見詰め返した。 やがて、きり丸はふうと息を吐いた。 「…やっぱり酔ってますね。飲みすぎっすよ」 そのまま煙に撒かれるのだなと思った。別にそれでも良かった。 本当に答えて欲しいと思ったわけではない。確かに気になっていた事ではあったが、無理矢理言わせたかったわけではない。 けれど、きり丸は淡々と続けた。 「復讐っていっても、ぼくは誰に復讐すればいいんですかね。 村を襲った雑兵?指揮官?攻め込むよう命令を下した殿様?それとも戦をやらかしたこっちの殿様?」 そこで、わたしの方から視線を逸らせた。 気まずさからというわけではなかったようだ。 過去に思いを馳せるように、在らぬ方向に目を向けて、 「戦だから仕方ないなんておれは思わない。殺した奴も許さない。 でも殺した奴らを殺したからってそれで終わるわけじゃない。村は帰ってこない。…人も」 呟きとともに視線を床に落とした彼に、泣いているのかと腰を浮かしかけたが、そうではなかった。 強い光を宿した眼差しは、瞬きもせず床の一点を見詰めていた。 「それじゃ結局変わらない。戦で焼かれる村を増やしたいわけじゃない」 そこまで、独り言のように言い切ってから、きり丸の視線がこちらに向けられた。 「…先生」 「なんだ?」 「超一流の忍者は、その存在を世に知られることすらなく動き、歴史の流れをも変えることができるんでしょう?」 「………ああ、そうだな。できなくはないだろう」 だからか?という問いかけは飲み込んだ。 短く答えると、唐突に袖を引かれて思わず立ち上がる。 「さて、いい加減寝てくださいね、先生」 「…ああ、そうだな」 今度は逆らわず、戸を閉めてから彼の後に続き、布団に横になった。 目を閉じると先ほどまで見ていた月が瞼の裏に浮かび上がる。 さらに、こちらを見据えてきたきり丸のまっすぐな瞳が重なった。 「…わたしは、そう思えるまでに十年はかかったんだがな」 「え?」 「いや、何でもない。おやすみ、きり丸」 「変なの。…まぁいっか。おやすみなさい、先生」 さんざん傷ついてきたはずなのに、それでも立ち上がる強い魂に憧れを抱いたのだと言えば、 おまえはどうするだろうなと思いながら目を閉じた。