「姫さん、ひっさしぶり!」
「お師匠様…元気そうでよかった」
「八戒!?玉龍も…!」
丁度買出しに来た都で、玄奘は八戒と玉龍に偶然出会った。
せっかくなので悟空と悟浄を呼んで皆で夕飯でも食べようということになったのは、話の流れとしては必然だった。
けれども、玉龍が「二人を呼んでくる」と短く言って姿を消した後、
八戒が「じゃ、それまでに姫さんも準備しなきゃな」とあまりにも楽しそうに言うので、
つい疑問を挟む前に彼の後についていってしまった、のは間違いだったかもしれない。
薄紅色事変
「あの…八戒、どこかおかしくはありませんか?」
「おかしい?どこが?」
不思議そうに首を傾げる八戒に、玄奘は何と説明したらよいかと思案する。
結果的に何かを言い淀んだ玄奘を見て、八戒は眉尻を下げた。
「オレの見立てが気に入らなかったとか?」
「いえ、この服はとても綺麗です!装飾品も…ええ、本当に素敵だと思います」
慌てて首を振ってから、玄奘は自身を見下ろした。
さんざん試着を繰り返した結果、八戒がよしと頷いたのがこの服だった。
いつもと違う形と色。
ベースは薄紅色なのでそれほど違和感はないが、ポイントとして縁取りなどに模様として走る深紅が鮮やかだ。
何より、型がいつもの動きやすさ重視の簡素なものと大きく違う。
足を動かすと、ひらりと布が舞い、足元を華やかに彩る。
八戒が見立てたものはこの服だけでなく、履物や髪飾りなどの飾りも全てだ。
さすがというか、以前旅の途中で八戒に服を見立ててもらったときも感心したものだが、
彼の選んだものは全てが見事に調和していて、とてもお洒落だ。
町中でこれを着ている人がいたらきっと感嘆の息を吐いて見とれたに違いない。
だがしかし、自分が着るとなると話は別だ。
「素敵…なのですけれど、その…私には少し似合わないのではないかと…」
「なんだ、そんなことか!」
八戒がからっと笑う。
「そんな心配ならご無用だぜ!よく似合ってる」
「それに、その…胸元も少し開きすぎなのではないかと…」
「だーいじょうぶ!最近の都の流行はそれぐらいだって!大体、んなこと言ったら金閣はどうなるんだよ」
「いえ、あの、そういう問題では…」
「あの」や「でも」を繰り返す玄奘の肩にポンと両手を置いた八戒は、
にっこりと有無を言わせぬ笑顔を作ると、玄奘の体をくるりとターンさせ、そのまま背中を押して歩き出した
「さー。お出口はこちら〜。姫さん、女は度胸だぜ!」
「は、八戒…!ちょっと待ってください!それに、お店の服を着たまま勝手に外に出ては…っ」
「ああ、それは気にしなくていいぜ。試着中に話はつけてあるから。それはオレたちから姫さんへのプレゼント。な?」
「八戒…たち?」
「そ。数日前にたまたまこの近辺で悟浄と玉龍に会ってさ。
実は、そのときから今日のことは決めてたんだよな。
ま、迎えに行く前に姫さんと出会ったのは偶然だけど。
本当は仕事終わった悟浄と落ち合って姫さんとこに押しかけるつもりで…っていう幕間はどうでもよくて。
ともかくだ。そーゆーわけだから、これは悟浄と玉龍とオレから、姫さんと悟空へのプレゼント。
気がひけるっていうなら、手土産とでも思っといてくれたらいいから、受け取ってくれよな」
「…ありがとうございます」
気取ったように片目を瞑られて、玄奘は微笑みながら素直にお礼を言った。
ここまで言われて断る方が失礼だ。
それに、気が引ける分を差し引いても、彼らが自分のために考えてくれたというのはやはり嬉しい。
そこで、今の八戒の台詞にふと疑問を抱き、瞬きをする。
「…え?悟空も、ですか」
なぜこれが悟空へのプレゼントになるのかと顔に書くが、八戒には答える気がないらしい。
にやあと笑うと、再び背を押し始める。
さらに、
「文句なしにすげー可愛いから!八戒様の保証付だぜ。ま、皆に見せるのはちょっともったいないけどな」
「は、はぁ」
完全に押し切られた形で、玄奘はいつもとは違う装いで呉服屋を出た。
◆ ◆ ◆
「あそこの角で合流予定なんだ。時間的には丁度良い頃合だから…お、いたいた」
八戒が指差す方向に目をやると、三人の姿が見えた。
こうやって五人が揃うと、まるで嘗ての旅の途中に戻ったかのようだ。
楽な道のりではなかったけれども、それでもあれや信頼できる仲間と一緒に過ごしたかけがえのない時間だった。
玄奘の顔に自然と笑みがのぼる。
玄奘に気付いた悟浄が「玄奘様!」と顔をほころばせて声をかけてきた。
気配で既に気付いていたのだろう玉龍も、柔らかい表情でこちらを見ている。
悟空は、なぜか目を瞠って驚いたような顔をしていたが。
玄奘は彼らに駆け寄った。
「悟浄、暫くぶりですね。お変わりありませんか?玉龍も、先ほどはゆっくり話せませんでしたが…」
旧交を温める三人の和やかな空気に、
「…おい、お前ら、どういうつもりだ?」
悟空の硬い声が水を差した。
玄奘は驚いて悟空に向き直る。
「え、今日は偶然ここで会ったので、皆でご飯でも食べようと……そんな話は聞いていませんか?」
玉龍はあまり言葉数が多い方ではないので、面倒だとばかりに説明なしに悟空を連れてきたのかもしれないと玄奘は思った。
だから、驚いた顔をしていたのかと。
しかし、ここには悟浄もいる。彼ならきっちりと説明をするはずだった。
玄奘の問いには答えず、悟空はその後ろの八戒をじろりと見た。
「おい、八戒」
「久しぶりだなー。元気だったか?」
八戒は、ははっと笑うと、人差し指をぴっと立てた。
「悟空、ひとつ"貸し"な」
片目を瞑る八戒を忌々しそうに見た後、悟空は矢庭に踵を返した。
「来い、玄奘」
「えっ」
強引に腕を取られて、玄奘は引きずられるように歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってください!今から皆でご飯を食べ…、ちょ…っ」
助けを求めて何とか振り返ってみると、悟浄も玉龍も、どういうわけだか悟空を止める気配はまったくなく、
のんびりとこちらを見送っていた。
さらには八戒が能天気な声で、
「それじゃ、明日、酒でも持って皆でそっちに行くからよろしくー!」
などと手を振っているが、悟空はむろんのこと、玄奘にも応える余裕はなかった。
◆ ◆ ◆
玄奘の腕をぐいぐいと引いていた悟空が腕を放したのは、町を出て少し経った頃だった。
その間、会話はない。
足早に歩く悟空についていくのに精一杯だったということもあるが、どうにも声をかけづらい空気を悟空は放っていた。
少し歩く速度が緩んだと思った直後、腕を解放された玄奘は、暫くそのまま悟空の後をとぼとぼと歩いた。
町を出てしまうと人通りはぴたりと途絶える。
いつもはたまに人とすれ違うこともあるのだが、今は誰もいないので、そちらに注意を逃すこともできない。
その中をたったふたり、無言で歩く。
とにかく気まずい。
やがて玄奘は思い切って悟空の横に並び、ちらりとその表情をうかがった。
うかがってから、見なければ良かったと思った。
彼はとても不機嫌そうな顔をしていた。
おまけに、悟空は玄奘が並んだ途端に視線を逆方向に逸らせた。
「…くっそ。何が"貸し"だ。あいつら俺のためとか何とか言いながら、結局自分たちが見たかっただけだろうが」
そうして何やらぶつぶつ呟いているが、その横顔はどこまでも不機嫌そうで、玄奘は小さな吐息を落とした。
悟空は外見を飾ることに拘るタイプではない。
むしろ、華美な飾り立てには呆れさえ見せそうだ。
だから、褒めてもらえるとは思っていなかった。
逆に、「くだらねえ」と一蹴されることを予想していたぐらいだ。
だが、想像と現実は違う。
彼は「くだらねえ」とは言わなかったが、その顔にまざまざと浮かぶ不快感を直視するのは思ったより堪えた。
しかも彼は最初の時以来、こちらを見てさえくれない。
深遠な思考と知識を持つ彼に、似合わないお洒落をする、底の浅いつまらない女だと思われたのかもしれない。
自業自得だとしても、彼に失望されるというのは耐え難い。
だからどうしても視線は下に落ちる。
「そう、ですね…。私なんかが着ては、この服に失礼ですよね」
視線を、地面に伸びる影に落としながら苦笑すると、チッと舌打ちが聞こえた。
反射的に振り仰ぐと、仏頂面の悟空。
けれど、先ほどのように視線を逸らしているわけではない。ちゃんと、こちらを見ている。
「玄奘」
「は、はい?」
「馬鹿だな、お前」
「な!」
いくらなんでも、言うに事欠いて、突然馬鹿とは何事かと抗議しようとするが、
その前に悟空が、まあ待てとばかりに長い腕を伸ばし、つっかかろうとした玄奘の動きを止めた。
「…あいつらの思惑に乗るのは癪だけどな」
「え?」
ぼそりと呟かれた台詞の意味を聞き返そうとするより早く、悟空が玄奘の身体を引き寄せた。
いつも傍にある彼の気配にはいつのまにかすっかり慣れてしまっている。
もはや抵抗や拒否をしようと思うことすらできなくなっている彼の気配。
当然、玄奘は彼の腕の中に、自然におさまった。
同時に耳元に落ちる低音。
「"なんか"、とか言うな。…それ、よく似合ってるぜ」
玄奘は目を見開いた。
予想どころか期待すらしていなかった言葉だった。
頬が熱くなる。おまけに目も熱くなってきて、慌てて目を瞬かせた。
一拍おいて、悟空は小さな溜息とともに言葉を繋げた。
「…けど、んな格好で町を歩くなんて、もうすんなよ」
「なぜですか?」
やはり似合っていないのだろうかと思いながら聞いてみると、玄奘が予想もしなかった答えが返ってきた。
「なぜ、ってお前…。勘違いした馬鹿な野郎どもが寄って来るだろうが」
「は?」
思わず、悟空の胸に手をついて少し距離を取り、顔を上げた。
まだ頬も熱いし、恐らくまだ目も潤んでいるだろうが、それを気にする余裕はなかった。
悟空と目が合う。
悟空は腕の中の玄奘を数秒間見下ろし、それからふいっと視線を逸らせた。
表情は少し険しいが、見間違いでなければ、頬が僅かに染まっている。
「悟空…?」
呼びかけると、彼の眉間の皺が深くなった。
「あの、悟空?私には、何が何だか…」
なんだろうか、この展開は。
彼はお世辞を言ったりしないから、…とは言え、気遣いはできる人なので、
そういった多少の気遣いは含んでいたかもしれないが、それでも一応褒めてくれた、ところまでは理解した。
けれど、それ以降の流れがどうにもわからない。
悟空は再び舌打ちをしたようだった。
確認する間もなく、突然腰を引き寄せられた玄奘はバランスを崩して仰け反った。
喉から出かけた悲鳴は、さらなる驚きによって呑み込まれた。
仰向いた玄奘にのしかかるようにして、悟空の唇が玄奘の首筋を這った。
そくりとするような甘さを残しながら鎖骨を食み、さらに下におりた唇は、襟の際でようやく止まった。
「っ!」
玄奘の息が止まる。
悟空が唇を肌から離す頃、何をされたかを理解した玄奘は一気に頭に血を上らせた。
「――――っっ!!」
涙目で悟空に抗議しようとするが、言葉は出てこなかった。
しかも彼女は、悟空の目の奥に宿る熱に気付いてしまった。
なおいっそう言葉が出てこなくなった玄奘に代わって、悟空が彼女の耳元で囁いた。
「もう、見せんなよ?」
流石に今度は意味が伝わる。
「…………はい」
玄奘は蚊の鳴くような声でやっと答えた。
溜飲の下がったような顔の悟空は、それでもまだ欲をまとったままの目を、
捕食者のようにゆったりと細めて、
「まあ、俺だけの前でなら歓迎するけどな」
意味深に笑った。
その後、「帰るぞ、玄奘」と何でもないような声で言って背中を向けたのは、
彼女のためだったのか彼自身のためだったのか。
それはわからないが、玄奘は小さく「はい」と頷いて、眼前の悟空の服の裾をぎゅっと握った。
先を歩く彼が、その手を服から外させて、一回り小さな彼女の手をその手の中に収めた、かどうかは彼らしか知らない。