鳥籠 〜薄氷の上〜





悟空は瞑目したまま静かに息を吐き出した。
柄にもなく緊張している、と思った。
しかしすぐに、『彼女』が己の生に絡むようになってからは緊張の連続だったと思い返す。
「…ま、緊張ってか驚愕ってか…息つく間もなかったのは確かだな」
細く息を吐いた唇がゆるりと笑みの形に刻まれる。
彼女ときたらとにかく、外見に反して意外と無鉄砲で、危なっかしくて。
あの旅の間、いつも後ろから彼女をはらはらしながら見ていたことなど、彼女本人は気付いてもいないだろう。
もっとも緊張は、一概には彼女の行動を心配したためのもの、というわけでもない。
想いが彼女に向かっているのを自覚してからはいつもそうだ。
一挙手一投足から目が離せなくなってからは、何かの拍子に彼女にほんの僅か触れるだけでも緊張した。
これだけ長い間生きてきて青臭いことだと呆れたが、こればかりは自分でもどうにもならなかった。






「――閻魔王様!申しわけありません!どうやら城に侵入者が」
「いい。放っておけ」
突然、慌てふためいた様子で現われた妖怪が、跪いて何事かを報告しようとするのを、悟空は途中で遮った。
「入り込んだようで…………は?あの、今、なんと…」
「"あれ"はいい。騒ぎ立て無用だ」
それだけ応えると、視線を外して瞳を瞼の裏に隠した主に、妖怪はそれ以上如何ともしがたく、 了解の意を一礼で示すとその場から消えた。

悟空は小さく舌打ちした。
"これ"こそが、今自分を緊張させているもので、できれば考えないようにしていたことだったのに。
しかし、一度眼前につきつけられてしまえば、目を逸らすことはできない。
思わず玄奘の部屋の辺りの気配を探ってしまいそうになる自分を何とか抑えるのが関の山だ。

この城の中に金閣が忍び込んだのは先ほどのことだ。もう四半刻ほど経っただろうか。
あえて放置した、というより、以前ここに金閣が弟とともに玄奘の様子をうかがいに来たときから、 いずれ来るだろうと思っていた。
外の者と玄奘を関わらせることがプラスとなるかマイナスとなるかはわからない。
けれど、今のままでは玄奘は衰弱していくばかりだとわかっていた。
身体ではなく、精神が。
「身体は…今のアイツの身体じゃ、そうそう滅多なことにはならねえだろうが……心は違うからな」
ぽつりと呟く。
冥界に来てからというもの、彼女らしくもなく鬱屈してゆく様は、見ているこちらが辛くなるほどだった。
それでも決して自分からは手離してなどやれないのだが。
今の玄奘の様子を見れば、金閣は間違いなく玄奘に発破をかけるはずだ。
敵対していたときの金閣しか知らないし、その性格を詳しく知るわけではないが、 この推測は恐らく間違ってはいないだろう。
それにより玄奘はどう動くだろうか。

「……何やってんだか」
ふと、自身の指先が冷たくなっていることに気付いた悟空は自嘲の笑みを浮かべた。
自分からそう仕向けたくせに、今更、彼女の出す結果を恐れて緊張している。
悪い結果しか想像できず、だから彼女の気配を探ることも自らに禁じた。
例えば今彼女が、自分を拒絶するような気を放ち、この城を飛び出そうとしているのを感じてしまったとすれば、 何をしてしまうかわからないからだ。



悟空は不意に目を細めた。
この城には、結界こそ張ってはいないが、何かが出入りすれば感知できるようにはしている。
そして今、ひとつの気配がこの城から消えた。恐らくは金閣だろう。
出て行った気配が二つでなかったことにとりあえず安堵するが、まだわからない。
玄奘の性格であれば、仮にこの城を出て行くとしても、黙ってこっそり、というのはないだろう。
今は思い悩むことで彼女本来の輝きが少しなりを潜めてはいるが、本来の彼女であれば、まっすぐにこちらを見据え、 決別を告げてくるはずだ。
辛そうに眉を歪めつつ、それでも、それが自分なりのけじめだとでもいうように。
決して逃げない。その強さも彼女の魅力の一つであり、自分が惹かれたところでもあった。

以前、地上に返す気はないと、彼女本人に言ったことがある。
もちろん脅しなどではない。本気だった。
彼女の故郷である地上界ですらそうだ。天界など尚更認められない。
けれど、もし彼女が本来の強さと輝きを取り戻し、あのまっすぐな目で別れを告げてきたとしたら、 そのとき自分はどうするだろう。
それが彼女が決めたことならと送り出せるだろうか、それとも嫌だと無様に取り縋るか、 ……あるいは、我を失って何より大事な彼女を害してしまうか。
悟空は目を閉じて天井を仰いだ。

わからない。
彼女の出す結論も。
それを聞いた自分が取る行動も。

玄奘の部屋を訪ねるまであと一刻ほどあった。
できるならば、最悪の結末にはならなければいいと心密かに願いつつ、悟空は静かにその時を待った。







2010.01.18







鳥籠のおまけ話。その頃の閻魔王様。




















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