彼女の絶対安全地帯





木漏れ日を眩しく見上げたところで少しよろめいた玄奘は、咄嗟に足を踏みしめ何とか持ちこたえた。
足元が若干危ういのは寝不足のせいだった。
常日頃規則正しい生活を心がけている玄奘ではあるが、昨晩は妖怪の襲撃が執拗で、ほとんど寝られなかった。
もう一泊とまではいかないが、せめてあと半日は宿泊を伸ばして体調を整えたかったのが本音だ。
けれど、丁度その町は妖怪の出やすい地域のようで、一箇所に留まれば留まるほど襲ってくる妖怪の数も、 町への被害も増えるだろうという判断のもと、明け方早々には町を出たのだ。
そうして歩くこと数時間、昼にはまだ時間があるが、 通りかかったこの静かな森で早めの休憩を取ったのも仕方ないことだった。

「こんなことではいけませんね。鍛え方が足りないのでしょうか…」
ぼんやりと呟くと、背後からツッコミが入った。
「いや、そこは鍛えるんじゃなくて、ちゃんと寝た方がいいと思うんだけどなー」
「八戒…?」
休憩をすると決まった後、玉龍は安全を確認するために見回りに、悟浄と八戒は、 それぞれ食料や薬草を探してくるといって森の奥に入っていった。
ちなみに悟空の姿がいつの間にか消えているのはいつものことだ。
歩いているときに消えたのであれば途中で倒れている可能性もあるので要注意だが、 休憩中であればさほど問題はないだろう。
こういうときの彼は、どこか静かなところで昼寝をしているというのが相場だからだ。

「ちょっと気になって戻ってきたら、案の定、姫さんがふらふらしてるからさ。 少し寝た方がいいぜ。昨日、全然寝られなかっただろ?」
「それは皆同じではありませんか」
苦笑すると、八戒はまじめくさった顔で大仰に両手を広げた。
「いいや!違う、それは違うぜ、姫さん!女性にとって睡眠は重要なんだ!何よりお肌に悪い! うら若い女性にこんな酷な仕打ちを見過ごしていいのか!?いや、いいわけがない!」
「…」
口を挟む隙がない。
何となく取り残された感で玄奘が口をぱくぱくさせていると、 八戒は「というわけで」と、半ば演説調になってきていた言葉を止めた。
「ほい」
「え?」
ぽんと渡され、思わず受け取ったのは、八戒の、
「しっぽ…」
「それ結構ふかふかだから、枕にするによし、ひざ掛けにするによし、の優れものなんだぜ! あ、姫さんなら中見ても構わないぜ」
「それは遠慮しておきます」
先日、悟浄がこのしっぽにしか見えないかばんの中をのぞいて、えもいわれぬ表情になったところを見ている身としては、 そんな冒険をしたいはずがない。

「じゃ、中身は開けずにそのまま敷いたり被ったり好きに使ってくれていいぜ」
そこで玄奘は、話の流れ的に昼寝の提案を断り損ねたことに気付いた。
それが八戒の策略であり思いやりであることにも。
申し訳ないとは思うが、気遣い自体は素直に嬉しい。
それに実際、このまま寝不足でふらふらしていては余計に迷惑がかかる。
「そう、ですね。ではお言葉に甘えます」
玄奘は礼を言うと、腰を落ち着けられそうな場所を探して木々の中をのんびりと歩き出した。






◆ ◆ ◆





「…こんなところにいたのですね」
玄奘が呆れ半分感心半分で、木の根元によりかかってうたた寝している悟空を見下ろした。
大樹の陰になっているのと、それから丁度うまく風の通り道になっているのだろう、 そこは涼しくて昼寝には最適な場所だった。
毎度のことながら、悟空のこの、さっさと快適な場所を探し出す能力は、ある意味すごいと玄奘は思う。
もちろん、同時に少しの脱力感も覚えてしまうのだが。
玄奘はそろりと悟空に近付いた。
悟空が起きる気配を見せないのをよいことに、その隣に何となく腰を下ろす。
そよと自分の頬を撫でた風が、悟空の前髪を少し揺らした。
同じ風を共有していると思うと、なにやらくすぐったい気分になる。
微笑んだ玄奘はふと膝の上に抱えていた、枕代わりに借り受けた八戒のしっぽを見下ろし、それから悟空に目を戻した。
そっと膝立ちで近付き、白いふかふかを、悟空の膝の上にそっと乗せる。
「体調でもくずされたら困りますからね」
言い訳めいた口調で呟くと、その場に腰を落ち着け、暫し悟空を見詰めた。
「…気持ち良さそうに寝ていますね」
時折悪夢にうなされているらしい悟空なだけに、安眠できているならそれは喜ばしいことだ。
けれど、こうも心地良さそうに眠られると、つられてこちらまで眠くなってくる。
小さく小さく欠伸をした玄奘の意識がゆるやかに夢の世界に連れて行かれたのは、それから間もなくのことだった。






◆ ◆ ◆





…おい。
と、悟空は心の中だけで声をあげた。
咄嗟に口に出さなかったのは上出来だった。
この距離で声を出せば、彼女を起こしてしまうかもしれないところだった。
それにしても。
なんでこんなことになってんだ…?
寝起きのためすっきりしない頭で考えかけ、やめる。
考えても無駄だ。というか答えなど考えるまでもなくひとつしかなかった。
昨晩まったく寝られなかった玄奘を心配した八戒あたりに勧められて、 眠るのに良い場所を探していたらそこに先客がいたというところだろう。
そうして、風が涼しいことを気にして、八戒のしっぽをひざ掛け代わりに自分にかけ、 その後、ついつられて寝入ってしまったに違いない。
「ったく…」
しかたねえなと、どこか優しい声で呟きながら、悟空は肩に掛けていたコートを脱ぎ、 自分の膝で猫のように眠る玄奘の身体にそっとかけた。






◆ ◆ ◆





「うーわ。これはまた何と言うか…見せ付ける…つもりがないだけに性質悪いっつーか」
玄奘を見送って半刻近く経った頃、八戒は一際大きい大木の根元に眠る彼女の姿を見つけて苦笑した。
正確には、眠る悟空の膝にもたれかかって、安心しきった顔で眠る玄奘の姿、だ。
足音を立てないように細心の注意を払いながら、彼らの元まで近付く。
玄奘は、八戒のしっぽと悟空の膝を枕に、すうすうと静かに眠っている。
彼女が自らこの体勢で睡眠をとろうとしたとは思えないので、恐らくは先に寝ていた悟空を見つけて近付き 、しっぽをかけてやったところで、ついに睡魔に負けて、というところだろうと見当を付ける。
けれども、この体勢は偶然でも、「ここ」が彼女にとってもっとも安心できて、 もっとも落ち着く場所であるのは間違いなかった。
普段厳しく自分を律している彼女なだけに、何の心配もなさそうなあどけない寝顔は微笑ましくて、 同時にそれを引き出している要因に思い至らざるを得ない。

八戒は少々ほろ苦い気持ちになりつつ、玄奘の髪に手を伸ばした。
思ったとおりの手触りに満足するが、直後、不躾な視線をすぐ隣から感じた。
顔を上げると、不機嫌そうに目を開けた悟空と視線がかちあった。
「お。起きてたのか」
「…」
不機嫌そうなのは、眠りを妨げられたからに違いないが、今日に限っては、 彼女との静かな時間を破られたからという理由も含まれているのではないかと八戒は推測する。
もっともそれを正面から悟空にぶつけるほど愚かではないが。
もし当たっていたとしても、悟空がそれを認めるわけがない。

普段、憎まれ口を叩いていても、彼が玄奘の様子を気に掛けていることは明らかだ。
今も、彼女にかけられたコートがそれをよく示している。
悟空はもちろん非道な男ではないし、細やかな気遣いを見せることも多々ある。
元々、面倒見は良い方なのかもしれない。
けれど、それを差し引いても、彼は玄奘に厳しく、そして実はとても甘い。
甘やかしている、というのとはまた違うのだが。

「姫さんと一緒に昼寝なんて、いーよなー。羨ましいよなー」
からかうように言ってみるが、悟空からの反論はなかった。
ただ小さく「静かにしろ」と言っただけだった。
恐らくは彼女を気遣ってだろう、小さな声で。
八戒は苦笑しながら「へいへい」と立ち上がった。
「さっき見回りから戻ってきた玉龍が、このあたりに怪しい気配はなかったって言ってたから、 もう暫く姫さんを休ませといてくれよ」
「…ああ」
素直ではない悟空から「なんで俺が」とか「知るか」とか返ってくる可能性も考えなくはなかったが、 悟空から返ってきたのは了承を示す短い一言だった。

馬に蹴られるのは嫌だしなと早々にその場を立ち去ろうとした八戒だったが、ふと途中で二人を振り返った。
少し悔しくはあるが、けれどもその光景は純粋に微笑ましく、こちらまで温かな気分になれるものだった。
そのことに満足しつつ、八戒は、さて、このことをどんな風に悟浄と玉龍に報告してやるかな、などと考えながら、 先ほど来た道を鼻歌交じりで戻っていった。









2009.10.03



膝枕イラストをファンブックで見て、
「ほうほう。これは一体どういう状況ですかな?(にこー)」と考え
こういう結論にたどり着いてみました。
安全地帯…かどうかはある意味甚だ疑問ですが。(笑)












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