白花(1)
「良いですか、悟空。人には確かに向き不向きというものがあるでしょう。
あなたの言うことにも一理あります。けれども、中には前向きに努力することで解決する問題もあると私は思うのです」
「…あー」
「そうやって一歩ずつ努力を積み重ねていくことで、人は成長するのではありませんか。
先ほどのこともそうです。困っている方が目の前にいるのですから、私たちに何かできるならば、
たとえ少々困難な道でも…」
「…あー」
「………悟空?」
「…あー」
「…悟空!ちゃんと聞いているのですか!?」
「…聞いてるよ。うるせえな」
「ですから!あなたのそういう態度が…!」
両脇を岸壁に挟まれた、九十九折の白茶けた道を下りながら、玄奘と悟空は集団の最後尾で言い合いを始めた。
とは言っても、玄奘と悟空のちょっとした言い争いというのは、三蔵法師一行にとっては半ば習慣化したものだ。
あまりに長引くときは止めにはいるが、多少の口論程度では、もはや誰も止めようとはしない。
せいぜいが、ちょっと呆れた目で「またか」と思うぐらいだ。
大体が、悟空がぐうたらしていてやる気がないのは最初からなので、
他の皆はそういうものなのだと認識して(諦めて)いるが、玄奘だけが今もなお懲りずに、都度都度で説教をしている。
放っときゃいーのに、と八戒などは思うが、彼女には放置できない問題であるらしい。
しかも、悟空の態度がまたまずい。
うるさいと思うなら、適当に取り繕えばいいところなのだが、それをしない。
さらに、
「…てか、お前こそ、旅の目的忘れんなよ。前向きなのは結構だが、
時と場合によっちゃ結局ただの寄り道になるだろうが」
あーあ、言わなきゃいーのに、と背後の争いに耳だけ貸していた八戒は肩を竦めた。
口には出さなかったが伝わったのだろう、隣を歩く悟浄も、同じく微妙な表情で口をへの字にしていた。
悟浄は玄奘を崇拝すらしている節があるが、悟空とのこういった些細な口喧嘩にだけは、
さすがに思うところがあるようだ。
ただ、玉龍だけは表情を変えることなく同じ足取りで歩いていたが。
二人の声が賑やかに響く中、先頭を歩いていた玉龍が足を止め、小さく「あ」と呟いた。
悟浄と八戒も、つられてそちらに目を向けた。
そうして最後尾の玄奘と悟空の、口喧嘩という名の言葉のキャッチボールは、
悟浄が上げた「玄奘様!この先に町が見えます」という声によりひとまずの終了を見た。
□ □ □
三蔵法師一行にとって町は重要な情報収集の場であり、資源調達の場でもある。
それに弱きを助けることも、天竺に向かうこの旅の目的の一つである。
ゆえに、町を見かけたらとりあえず立ち寄るというのが暗黙の了解であった。
今回も例に漏れず町に入った五人は、人通りに多そうな方へと歩いた。
大抵の場合、中心部に人が集まり物も情報も集まるからだ。
人通りは都ほどではないが、それなりに忙しなく人が行き交っている。
見回せば、整然と連なる石壁、そして大通りには種々の店が軒を連ねていた。
小規模だが豊かな町、そういった印象を玄奘は持った。
けれども、どこか違和感があった。
何かが引っかかる。
その疑問は、八戒の何気ないぼやきによって氷解した。
「あーあ。せっかくデカそうな町だと思ったのに、運命の女性に全然出会わねーなあ」
「そう言えば…町に入ってから一度も若い女性の姿を見ていませんね」
玄奘は改めて周囲を注意深く見回す。
同じく辺りを確認した悟浄が「確かに、そうですね」と同意した。
「しかも…何というか、先ほどから視線を感じるのですが…」
玄奘は声を潜めた。
ちらちらとこちらをうかがうような視線が四方から向けられているような気がする。
気がする、というのは、振り返るとそそくさと視線を外されてしまうので、確証がないからだ。
「…この町の様子は…何か、おかしいですね」
「おかしいと言えば、俺も気になることがあります。建物は堅固なつくりをしていますし、
物資も問題なく普及しています。見た限りでは、町自体は栄えているというのに、
人々の顔には覇気がありません。何か問題ごとを抱えているのではないでしょうか」
玄奘は頷いてから、ふと背後を振り返った。
「あなたはどう思いますか?悟空」
水を向けると、最後尾をのんびり歩いていた悟空が欠伸を噛み殺しながら「さあな」といかにも気だるげに答えた。
「悟空!どうしてあなたはそうなのです。あなたも少しは真面目に考えてください!」
面倒だと言いたげに眉を顰めた悟空は、仕方なさそうに頭をかいた。
「…つってもなあ…おい玉龍、妖怪の気配感じるか?」
玉龍は暫し意識を集中させるように目を閉じたが、すぐに目を開けた。
「この町の中には、妖怪はいない」
玉龍がそう言うなら間違いはない。
では一体何が原因なのだろうか、と玄奘は首を捻る。
ともあれ、少し話を聞いてみましょう、と近くの店先に立っていた老人に声をかけた。
「すみません、少しお尋ねしたいのですが…」
丁寧な物腰で声をかけたのだが、老店主は好意的とは言いがたい、推し量る目で玄奘をじっと見た。
それから小さく口早に言った。
「あんたら、黄袍怪の手先かい?」
「え?」
思いもよらない返事に目を丸くしていると、ややあってから、老店主はほっと息を吐いた。
「違うのか。すまんの。…まあ、本当にあんたらが奴の手先だと思っておったわけではないが、
念の為に用心は必要じゃからな」
そう言って、今度は親しみの溢れる笑みを向けてきた。
「ご主人、黄袍怪というのは何ものなのですか?」
悟浄が、玄奘を庇うように一歩前に出て、質問を投げかけた。
流石に都の警吏の任に就いていただけあって、こういったときに
真っ先に適切な行動を取ることができるのはいつも彼だった。
「黄袍怪というのはな、半年ほど前から現われるようになった妖怪じゃ。
この町の近くに根城を構えとるらしくてな、時折やって来るんじゃ」
「では、その妖怪がこの町で何か悪さをしていると?例えば暴れたり、食料や物資を強奪したり…」
店主は難しそうに眉根を寄せた。
より深くなった皺が、彼の心痛を表していた。
「それもあるがの…それよりもっと酷いもんさ。奴は町の若い女を根こそぎ浚っていってしまったんじゃ」
悟浄は何と言って良いかわからないという顔で眉を顰め、その後ろで玄奘も瞳を曇らせた。
「なんということを…」
唇を噛み締めて俯く。
こういうときに強く思い知る。
今、自分は、観音菩薩の導きにより三蔵法師として経典を求める旅をしているが、
それでも自分自身には何の力もないのだと。
「…お師匠様…。大丈夫?」
傍らから心配そうに顔を覗き込んでくる玉龍に、玄奘は何とか微笑み返した。
「…ええ、私は大丈夫ですよ。それより、浚われた女の方たちを何とか助け出さないと…」
それぞれの意見をうかがうように仲間を見回すと、
「おう!そう来なくっちゃな、姫さん!なんたって、女性の危機を黙って見過ごすなんて、
オレのポリシーに反するからな!」
まず八戒の力強い言葉が返ってきた。
続いて玉龍も「うん」と頷いてくれた。
悟空はと言えば特に肯定の意志は示していないが、
いつものように「やめとけ」という言葉が出てこないということは容認したというところだろう。
仲間の顔を一巡してから、玄奘は老人とその前に立っている悟浄に視線を戻した。
許可を求めるような悟浄の視線に応え、玄奘ははっきり頷いた。
ほっとしたように微笑んだ悟浄は、老人に向き直り、一同を代表して話の続きを求めた。
「もう少し詳しくお聞かせ願えませんか。何かお力になれるかもしれません」
「そうだぜ、じいさん!うら若き乙女たちの災難を黙ってみてるわけにはいかねーからな。オレたちに任せてくれよ!」
八戒も悟浄の肩越しに、身を乗り出す勢いを見せる。
この申し出に、最初は訝しげな表情を見せた老人だったが、
悟浄や八戒の熱意に圧される形で頷き、一行を店の裏手にある自分の家へと案内した。
老店主の家に招き入れられるまでにわかったことは、彼がこの町で長老と呼ばれ慕われているということだった。
今まで遠巻きにしているだけで近付いてこなかった人たちが、
不安そうな目をしながら「長老様、何か問題でも?」と次々に声をかけてきたからだ。
集まってきた人たちを穏やかな表情と落ち着いた口調とで安心させた後、玄奘らを伴って自宅で腰を落ち着けた長老は、
町の状態と、黄袍怪という妖怪について語って聞かせた。
「黄袍怪は、最初、名家の子弟を装ってやってきたんじゃ。何しろ従者を沢山引き連れとるし、
本人も身なりは豪華だし、何とも優雅な風情の若者の姿なもんで、
わしらはすっかり騙されてしもうた。おまけに気前も良くてな。皆であれやこれやと歓待しておったんじゃが、
十日ほどそうやって過ごした後、奴め、正体を現しおったんじゃ」
当時のことを思い出したのか、拳に力が篭もるのを見詰めながら、玄奘は頷き話の続きを待った。
「…妖怪の本性を現した奴は、ぬけぬけとこう言った。
もてなしに満足したからこの町は壊さずに残しておいてやろう、
ただし自分の城で働く侍女として、町の娘たちを残らず差し出せ、とな」
「それで…まさか差し出したのですか?」
悟浄が幾分控えめな声で問いかけた。
「そんなことをするわけなかろうが!この町に、そんな腰抜け、一人もおらんわ!」
長老は鼻息も荒く叫んだが、直後に肩を落とした。
「…のはずなんじゃがな、そのときはなぜか皆、奴の言いなりになってしもうた」
「どういうことですか?」
「奴め、人心を惑わす術を使ったに違いない。何やらきらきらした粉を指先でまいたところまではしっかり
覚えとるんじゃが、その後がの…。今思い出してもなぜそう思ったのかはわからんが、
そのときは奴の命令を聞くのが当然と思い込んでしもうた。娘たちも抵抗するどころか、自ら奴についていったよ」
「まさか、そんなことが…」
玄奘らは顔を見合わせた。
妖怪が力で人間をねじ伏せたケースはよくあるが、
術を駆使して、というのはこれまであまり経験がない。
だから老人の話に出てきた術がどういうものなのか、そもそもそんなことが可能かどうかすらわからないのだ。
落ちた沈黙の中、淡々とした抑揚のない声が、唐突に話の輪の中心に投げ入れられた。
「…ま、ありえなくもないだろうな」
声の主は、腕を組んだまま扉に寄りかかっていた悟空だった。
「悟空、どういうことです?」
「だから、妖怪って一口に言っても全員が全員、力押しで来るわけじゃねえ。
術を使えるのは仙人だけってわけでもねえし、妖怪の中でも高位の奴ならいろいろ術を使う。
中には人の心を一時的に支配する術も、ある。恐らくはな」
全員の視線を集めながら、特に気負うこともなく、彼はさらりと告げた。
悟空の説明を受けて、悟浄は指先で顎をつまみ、唸った。
「ということは、その黄袍怪というのは、術を使う高位妖怪…。何か策を練らねばならんかもしれん」
「そーだな。けど、とにかく早く助けにいかなきゃ娘さんたちが心配だ。
もしかしたら、その中にオレの運命の女性がいるかもしれねーしな!」
「…八戒、お前……いや、まあいい。やる気に免じて、最後のは聞かなかったことにしてやる。
…長老様、万全の態勢で連れ去られた人たちを助けにいきたいと思うのですが、その妖怪について、
できるだけ詳しい情報をいただけますか」
悟浄らは詳細な情報を得ようと、話し込み始めた。
そこに加わろうとした玄奘だったが、その前にふと、何か考え込むような悟空の様子に気付いて、そっと近寄った。
「悟空。どうかしたのですか?」
「ああ、いや、ちょっとな」
言葉を濁す悟空に、玄奘は話題を少し変えた。
「先ほどの話ですが…さすがに詳しいですね、悟空」
話題を変えるためとはいえ、それは追従でもなんでもなかった。
心からの感嘆を、玄奘は素直に悟空に向けた。
先ほどのあれは、斉天大聖として天界にあった頃の知識だろうか。
今の悟空からは想像もつかないが、二郎真君とのやり取りを見るに、天界にいた頃は相当な要職についていたようなので。
「あ?…ああ、まあな」
けれど、少し口ごもったような返答に、玄奘は首を傾げた。
「どうしたのですか?」
「いや…何でもねえ。気のせいだ」
「だから何がですか?」
「…五百年閉じ込められてた影響がまだあるんだろうな。
まだ記憶が曖昧な部分があんだよ。だから、ちょっと今混乱した。それだけだ。気にすんな」
「そう、ですか」
気にするなと無理矢理打ち切られてしまえば、それ以上追及するわけにもいかない。
「"斉天大聖"がそこまで知ってるはずねえんだが…」
悟空の小さな呟きを拾った玄奘はどういう意味かと暫し思案した。
しかし、立ち入れない雰囲気を悟空に感じ、釈然としないながらも気持ちを切り替えて、長老と悟浄らの会話に耳を戻した。
2009.11.29
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