「セレスト。いいか?――――だぞ?」 手招きされるままに腰を折ると、背伸びをした幼い主君がまるで内緒話でもするように耳元で小さく囁いた言葉。 セレストは何と答えたものかと暫く逡巡したが、キラキラ輝く青い瞳の前に他の言葉を提示することができず、 結局膝を付いて恭しく答えた。 「――仰せのままに」 第二王子の守護者
「これより騎士団員による模擬試合を執り行う!試合はトーナメント方式で行い、 三位までに入った者には褒賞が与えられる。 また、優勝者及び準優勝者にはそれぞれ次期近衛隊隊長、副隊長となり、 第一王子リグナム殿下と第二王子カナン殿下の警護の任についてもらうので、 そのつもりで気を引き締めて取り組むように!」 王国騎士団を束ねる騎士団長、アドルフ・アーヴィングの声が広い訓練場に響き渡る。 居並んだ騎士団員たちは直立不動で上司の言葉を聞く。 もちろんそうでなければ騎士団長の厳しい一喝を喰らうことになるからだが、このときは他にも理由があった。 「なお、王子殿下方の警護者を決める試合ということもあり、本日は国王陛下、 並びに王子殿下方も試合の様子をご覧になる!日頃の鍛錬の成果をお見せできる機会でもあるので、 各自存分に腕を振るい…」 まだまだ続く騎士団長の話を生真面目に拝聴しているかに見える団員たちの気分は実のところ些か浮つき気味だ。 その証拠に、団員たちの視線は時折、団長を飛び越えて後ろの貴賓席をちらちらと窺っている。 それもそのはず。貴賓席には、たとえ城勤めの騎士団員と言えど普段であればたまに遠目に 見かけるだけの国王リプトンやリグナム王子、カナン王子が並んで座し、騎士団員の方を興味深げに眺めているではないか。 騎士団員の興味が団長の話よりもそちらに向かってしまうのは仕方のないところだった。 しかしこのとき、騎士団員の中に整列していたセレスト・アーヴィングは、 他の団員とは少々異なる理由で気分が上の空気味だった。 「……」 し、視線を感じる…とセレストは心の中で呟いた。そのおかげで今ひとつ話に集中することができない。 恐る恐る、ほんの少しだけ、ちらりと貴賓席に目を向ける。 と、大きな青い瞳と見事に目が合った。 その瞬間、満足そうににこっと笑いかけてくるのは王国の第二王子カナン。 まだ幼い彼の容姿のみを表現するならば金髪碧眼の愛らしい天使。 けれどそんな「天使」の性格は豪胆、そしてときには無謀。 その辺りを加味すれば天使と呼ぶには些か疑問が残るが、少なくとも今彼が邪気なく微笑む様子は まさに天使の笑みといったところで、幸運にもそれを目にした団員たちからは感動とも悶絶ともつかぬ呻きが漏れた。 …笑いかけられた本人であるところのセレストを除いて。 正確には、セレストすら――カナンが産まれる前から父親である騎士団長に連れられて城内に出入りし、 これまでカナンの遊び相手としてその成長を見守ってきたセレストをしてすら、 一瞬(うわぁ…)と赤くなってしまうような可愛い笑顔だったわけだが、 セレストはすぐに天使の唇が動き何かのを言葉を形取っていることに気付いた。 じいっと唇の動きを追う。 (なになに?…「ま・け・た・ら・ゆ・る・さ・な・い・ぞ」?…うわぁ…) 先程とは全く別の感情を持って「うわぁ」と内心呟いたセレストはとほほと肩を落とした。 勝てる自信がない、とは言わない。 このために今まで鍛錬を積んできたわけだから。 けれど絶対に勝てると思えるほど自信家でもなかった。 その上でのこのプレッシャー。 いや本当に勘弁して下さいと内心呟きながら、セレストは貴賓席から視線を引き剥がした。 「――勝者、セレスト・アーヴィング!準決勝進出!」 試合を観覧している他の騎士団員の間からどよめきが起こる。 決勝戦枠のうち一つはシード席のため、この時点で既に三位までの入賞が確定したことになる。 けれどセレストにとって、入賞による褒賞は眼中になかった。 抜き身の剣を鞘に収めたセレストは大きく息を吐くと、あと一つ、と呟いた。 準決勝までの間、十分ほどの休憩が与えられたセレストは神経を集中させるために、 騎士団員たちが多く残る訓練場から抜け出し、中庭をゆっくりと歩いていた。 ふと自分以外の足音を聞きとがめて目線を上げると、丁度逆方向からやってくる人影が見えた。 同じく騎士団の制服を纏っている。 それが誰であるか認識して思わず眉根が寄るのを何とか押し留め、セレストは道を空けて頭を下げた。 「ああ?なんだ、ひよっこセレストじゃねぇか」 黙ってやり過ごせればと思ったが、そう上手くはいかないようだ。 セレストは内心深く溜息をつきながら顔を上げた。 「準決勝はお前とだっけな。ったく、お前みたいなひよっこがここまで勝ち上がってくるなんて、 他の奴らは何してんだか。まぁオレにとっちゃあラッキーか?」 にやにやと笑いながら嘲りの言葉を吐く男に、セレストは固い表情で頭を下げた。 「よろしくお願いします」 「…けっ。せいぜい頑張るこったな。お前なんかがオレに敵うはずもないけどな」 騎士団員の中でも最年少に近いセレストから見て男は先輩、目上の者ということになる。 騎士たる者は礼節を重んじるのが通例であり、セレストはそれに則った態度を取っていた。 もっとも、対する男の方には騎士道の欠片も見受けられなかったが。 本来なら騎士団を除名されて然るべきだが、始末の悪いことに男はなまじ腕が立ち要領も良かったものだから、 今まで決定的な処分を下されたことはない。 人当たりの良いセレストですらこの男を苦手としていたが、やはり目上の者をないがしろにすることはできない。 このときも早々に立ち去りたい気持ちを抑えて、セレストは男の不快な話に黙って付き合うことにした。 ――その話題が男の口から出るまでは。 「決勝はアルネストの野郎が出てきやがるが、まぁオレは二位になればいいわけだからな」 「…」 セレストはふと伏せていた視線を上げた。 褒賞が目当てであれば三位までに入ればいい。 強さを誇示したいなら、または暴れたいだけなら狙うのは優勝だろう。 しかし二位、とは。 思い当たることがあるだけに、セレストの目には訝しげな光が浮かぶ。 思わず、問い返していた。 「…二位、ですか?」 「ああ。だって二位になりゃ、第二王子付きになれっだろ?」 「それは…そうですが」 男は生活態度も褒められたものではなかった。怠惰に過ごしている姿を幾度か見かけていたセレストは、 この男は警護の任務など面倒くさがると思っていたのだ。 それを自ら希望する理由は何だ、とセレストは窺うように男を見た。 その視線に気付くことなく、男は口を歪めると思い出すような目つきで浅く笑いを浮かべた。 「…あー、いいよなぁ、カナン様」 「は?」 セレストは眉根を寄せた。必要以上に刺々しい声になってしまったのはセレストが強い不快感を覚えたからだ。 男の台詞と声音には、いくら幼いとはいえ、仮にも仕える王家の人間であるカナンに対する敬意が感じ取れなかった。 否、それだけでなく。それよりも寧ろ、 「可愛いよなぁ。なあ、お前も思うだろう?」 「それは……確かにお可愛らしいとは思いますが」 躊躇いながら返答を返す。この男の言う「可愛い」の響きがどことなく違うような気がした。 男はセレストの困惑の気配を気にも留めず、さらに言葉を続けた。 「あれぐらい可愛かったら男でもかまわねぇよな。髪もさらさらだし、まだ小さいから体も柔らかそうだし…」 「な、」 セレストは絶句して、目の前の男の下卑た表情を呆然と見た。 まさかという思いと、信じがたい推測とが同時に駆け巡る。悪いことに、その推測はすぐに確信へと変わった。 「抱きしめたら良い匂いしそうだよなぁ。肌も白くてすべすべで…きっと吸ったらすぐに跡が付くんだぜぇ…?」 セレストは見開いた目で男を凝視した。 この男が何を言っているのか理解できない。いや、理解したくない。 明らかに欲情を点した目でにやにやと笑いながらカナンを見る者がいるなど、有り得ない。 有り得てはならないし、何より許せない。 「それに、あの細い腰がまたそそるんだよなぁ。あんな細っこかったら、 押さえつけたらろくな抵抗もできねぇだろうし…あー…あの可愛い顔をぐしゃぐしゃに泣かせて…いや、啼かせてみ…」 「黙れ!!下種が!」 セレストは反射的に叫んでいた。その手は腰に下げた剣の柄にかけられている。 相手が年上の、目上の者だとかは欠片も意識になかった。 「…あんだと?」 男は気色ばみ、片目を細めてなぶるようにセレストを見た。 しかしセレストも一歩も引かずに男を睨み据える。 「おいおい。お前、仮にも先輩であるオレに今なんつった?ああ?」 「その汚らわしい口を閉じろと言った…!」 取り繕わず言い放ったセレストに、男は顔を歪めた。 「…へーえ?言ってくれるじゃねぇか。その生意気な口、今すぐ叩けなくしてやってもいいんだぜ?」 「できるものなら、やってみればいい」 「上等じゃねぇか」 流れる一触即発の空気を、突然の第三者の介入が妨げた。 「どうした?何を騒いでいる」 「あ…アルネスト…!」 男はチッと舌打ちをして、優雅な様で歩いてきた長身を見た。 アルネストは現在この国で一番の実力を持つと言われている剣士で、今回の決勝シード席に名を載せる者でもある。 収穫祭で開かれる武術大会でも毎年優勝している彼は、数年前から既に国一番の剣士という栄誉と、 第一王子リグナムの護衛の任を得ていた。 今回の模擬試合でもそれが変わることはないだろうというのが大方の予想だ。 つまりはこの度の大会は準優勝者…すなわちカナンの警護にあたる者を決めるために開かれたようなものだ。 「さて…」 ゆっくりとした歩みで近寄ってきたアルネストは、 「何があったかは知らないが…」 剣にかけられたセレストの手をちらりと見た。 渋々柄から手を離したセレストの態度に頷くと、対峙していた二人を視界に納め、腕を組んだ。 「…この後、お前たちの試合が始まる。勝負ならそこで付けたらいい。丁度準決勝戦だったな。 ということは、お前たちのうち勝ったほうが決勝で私と対戦することになるわけだが……」 暫し間を置き、アルネストはセレストと男を交互に見た。 国で一番の実力を持つ剣士の鋭い眼光に捉えられて、男は僅かにたじろいだ。 一方、セレストの方はまだ怒りの延長上にあるのか、無言のまままっすぐにアルネストを見返した。 アルネストはフッと微笑を浮かべると瞳の光を和らげた。 「…楽しみにしている」 そう言うとマントを翻して去っていった。 その後を追うように、男も「けっ。首洗って待ってろよ」と唾を吐きながらその場を去った。 残されたセレストは、遠ざかる男の後姿を睨みつけながらその場に立ち尽くしていた。 「それでは、これから準決勝を始める!両者、前へ!」 騎士団長の号令に従い、セレストとその対戦相手の男は前に出た。 恐ろしいほどの緊迫感が場内を包む。 剣を前に掲げて礼を取り、そして身構える。 「…始め!」 開始の合図とともに、二本の剣の間に火花が散った。 ギリと押し合うと、双方後ろに飛びのき再び切り結ぶ。 ギャラリーを決め込んでいる騎士団員たちから感嘆の溜息が漏れた。 「す、げぇ…」 「ああ。セレストもめきめき力つけてきてると思ってたけど…今日はいつもより格段に…」 「いい勝負になりそうだな」 「どっちが勝つんだ…?」 一斉にごくりと唾を飲み、視線は食い入るように二人の動きに集中された。 実力は伯仲。 ただ積んできた経験分、男より何歳も若いセレストの方が不利だった。 とびずさった先の窪んだ地面に一瞬足を取られたセレストは、ハッと足元を見下ろした。 「でやぁぁぁっ!」 「ぐ…!」 その隙に頭上から振り下ろされた剣をセレストは辛うじて受け止めた。 渾身の力で受け止める腕がブルブルと震える。 ほんの僅かでも気を抜いたらその瞬間に押し切られそうだ。 しかしこのままでもじりじりと押されていくだけだ。 男の怪力に、受け止めているこちらの腕が痺れを訴えてきている。 「く…っ」 さらに強められる力にそのまま剣を持っていかれそうになって小さく呻いた。 腕の力も、もう限界だった。 そのとき、無意識のうちに彷徨った視線が、観衆の奥、貴賓席に座るカナンの姿を捉えた。 いや、彼は席に大人しく納まってなどいなかった。 立ち上がり、身を乗り出してこちらを見ている。 こちらを。否、違う、セレストだけを。 その口が小さく動く。 多分声には出していない。 まだ幼いにも関わらず、自分の立場を正しく理解し、民に対して公平に在る事を知っている人だ。 今このような場でどちらかだけに声援を送るような真似をするわけがない。 けれど、黙ってはいられなかったのだと言わんばかりに小さく唇が呟いたのが、セレストには何故か克明に見えた。 セレスト以外誰も気付いていないだろう、カナン本人も気付いていないかもしれない声なき声。 けれど確かに彼は言った。 『勝て、セレスト!』 「…っ」 脳裏に甦るのは、模擬試合の開催が決まった後にこっそりと耳打ちされた言葉。 『セレスト。いいか?絶対に決勝まで勝ち残るんだぞ?そして僕の従者になるんだ』 本当はこういうことを言うのは公正でない気がするし、大体これだと決勝では負けることを期待してることになるから 駄目なんだがと難しい顔をしつつも、それでも…とまっすぐにセレストを捉えた青い瞳。 セレストはカッと目を見開いた。 奥歯を噛み締め、下腹に力を込める。 力が、体の奥から湧き上がってくるような気がした。 「ま…けるか―――っ!!」 「なんだと…!?」 咆哮をあげながら、腕力で劣っているはずのセレストが相手の剣を力任せに弾き飛ばした。 その勢いのまま上段で切りかかる。 「はぁッ!」 「く…っ!?」 取り落とした剣を拾い上げた男は、振り下ろされる白刃を受け止めるべく頭上に剣を構えたが、 その瞬間セレストの白刃の軌跡が切り替わった。 「な!?」 途中まで振り下ろした白刃の軌道を変え、横薙ぎにする。 紫電一閃。 一瞬の間の出来事だった。 場内は水を打ったように静まり返る。 スローモーションのように、セレストの弾き飛ばした剣が宙を舞った。 カランと、男の剣が地面に落ちる音が響き、地に付くと同時に刃が真っ二つに割れた。 観衆はその素早さと威力に息を呑み――― 「…っす、すげぇ…!」 「さすがセレスト!!」 「見たかよ今の一撃!?」 それから、一斉に興奮に沸いた。 アドルフは父親としてでなく、騎士団を束ねる団長としての目で満足そうに頷くと、高らかに宣言した。 「勝者、セレスト・アーヴィング!」 セレストは息を整えるべく肩でいくつか大きく呼吸しながら周りをぐるりと取り囲む仲間と、 それから少し離れた席で立ち上がったままのカナンを見た。 まるで敬愛するご先祖の冒険譚を聞いているときのような興奮気味の笑顔を浮かべ、彼はこちらを見ていた。 そんなカナンの姿をまっすぐに捉えたセレストの緑の瞳は無意識のうちに柔らかく細められ、 それから主に忠誠を誓うように、右手が心臓の上に当てられた。 自分より年長で腕が立つはずの男を打ち負かしたセレストを称える空気一色の中、一人、異色の空気を纏うものがいた。 セレストに敗れた当の男。彼は暫し呆然と、信じられないという顔でへたり込んでいた。 しかしその形相がやがて憤怒に彩られる。 「このオレが…負けるわけねぇ…!」 彼の中ではセレストは未熟なただの小僧であり、まさか自分が負けるはずもなかった。 真っ二つに折られた剣を手繰り寄せ、怒りのまま立ち上がる。 そんな彼の様子に、セレストを褒め称える騎士団員たちは誰も気付かなかった。 「危ないセレスト!後ろ―――!」 その後、周りに集まってきた仲間の騎士にもみくちゃにされながら賛辞と祝いを浴びていたセレストの鼓膜を、遠くからの切羽詰った声が刺激した。 その声だけは決して聞き逃すことがないと自負する声。 叫びに反応して振り返ったセレストの目には、人垣を掻き分け、血走った目で剣を振り上げる男の姿があった。 「!!」 避ける間がない。 セレストは咄嗟に腕で頭を庇い、衝撃を覚悟した。が―― 「…?」 次の瞬間に衝撃は訪れなかった。 セレストが見たのは、腕を振り上げたまま動きをとめた男の姿だった。 ゆっくりと男が呻いて剣を取り落とす。 「ぐ…っぁ…」 男の腕には細身のナイフが刺さっている。 そのシンプルなナイフの持ち主が誰かということは、騎士団の者なら誰でも知っている。 頭を巡らせたセレストは、人垣から少し離れたところに立つアルネストの姿を認めた。 視線に気付きフッと笑ってみせたアルネストに、セレストは深々とお辞儀をした。 結局、騎士道にもとる行いをしたということで男は捕らえられ、正式な処分を待つことになった。 騒然とする場でこれ以上続行するわけにもいかず、既にアルネストとセレストという上位二名を選出できていたこともあり、 試合は中止された。 役職者の任命については、元よりその任にあるアルネストが引き続き近衛隊隊長を、 準決勝を勝ち残ったセレストが新たに近衛隊副隊長を務めることになった。 「セレスト、よくやったな」 「あ…隊長――」 「まずはおめでとうと言っておこうか。手合わせできなかったのが残念だがな」 「は――、あ、いえ」 歯切れの悪いセレストに、何か言いたそうな気配を見て取ったアルネストは、軽く溜息を吐いた。 「…あの男は普段からの素行も悪くてな。追放する機会を窺っていたのだがなかなか尻尾を出さない。 しかも性質の悪いことに腕だけは良いときている。お前が勝ってくれてよかった」 「…って…」 飄々と告げられて、暫し呆気に取られたようにアルネストを見ていたセレストの表情が、不意に変わった。 「…ではやはり隊長はあの男があんな不埒な考えを持っていると知ったらしたんですか!? もし私が負けていたらどうなさるおつもりだったんです!? まさか、あんな男だと知っていて殿下方の…カナン様のお付きになさるおつもりだったんじゃないでしょうね…!?」 「まさか」 アルネストは肩を竦めながら苦笑した。 セレストは今や常の彼を知る者であれば目を疑うほどに鋭い眼差しで上司であるはずのアルネストを睨みつけている。 殺気すら感じ取れそうなそれを受けながら、さすがと言うべきか、アルネストは珍しいものを見たなどと 呑気に思いつつ言葉を続けた。 「万が一奴がお前に勝っていたら、決勝で私がどんな手を使っても潰すつもりだったさ。 試合中の事故を装って再起不能にするか、あるいは向こうから尻尾を巻いて逃げ出さざるを得ないぐらいにな」 「…しかし……!」 先程よりは怒りを納め、それでもなおも言い募ろうとしたセレストに、アルネストが興味深そうに眉を上げた。 「……ふぅむ?」 「…何ですか?」 面白そうにしげしげとこちらを見てくる視線に居心地の悪さを感じながらセレストは問いかけた。 「いや、セレストは融通が利かないぐらいにまっすぐでお人好しの常識人だと思っていたが、 そうでもないんだなと思っただけだ」 「…は?」 多少物騒な台詞を吐いた自覚はあったが、セレストからはその辺りへの反応は返ってこなかった。 主君を守るためという大儀は置いておくとして、事故を装って再起不能にする云々というのは騎士団員、 しかも近衛隊隊長としてどうかとか、そのような類の非難をアルネストは予想していたのだが。 「それとも、カナン様が絡んでいるからか?」 「え、カナン様が…何ですか?」 その固有名詞一つで、突如慌てたようにこちらを見上げるセレストは先程とは人が違ったようだ。 お人好しと苦労性が染み付いたような、いつもの表情。 「…なるほど。やはりこちらのほうの理由か」 「アルネスト様…あの、何の話ですか…っ!?」 おたおたと説明を求めるセレストの耳に、よく知った声が飛びこんできた。 慌ててそちらに目を向けると、紛れもなくその人がこちらに向かって走ってきていた。 「セレストーっ!」 「か、カナン様っ!?そんなに走られると危ないですよ…!」 頬を上気させて駆けて来たカナンに慌てて注意を促す。 その矢先、カナンが道端の石につまずいた。 「あぶな…っ!」 間一髪で、駆け寄ったセレストが、カナンの小さな体を抱きとめた。 「…すまない。助かった」 「ああもう、だから危ないと申し上げたんですよ」 「悪かった。次からは気をつける」 「…本当にそうしてくださると助かるんですが…」 ぶつぶつと呟くセレストの肩を、対照的に満面の笑みを浮かべたカナンがぽんぽんと叩く。 「それより、おめでとうセレスト。すごかったぞ!ルーシャス様の冒険に出てくる、剣士ロイみたいだった!」 「あ、ありがとうございます」 照れたように笑うセレストに、カナンは大きく頷いた。 それから思いついたようにパッと顔を輝かせた。 「そうだ。それから、これでお前が名実ともに僕の従者となるわけだな」 そうですねと答えながら、セレストは無防備に笑顔を浮かべるカナンをじっと見つめた。 「何だ?僕の顔に何かついているか?」 「いえ…」 誰にでもそんな態度を取るわけではないということは知っている。 時々暴走することを除けば、この歳とは思えないほどに深い思慮を持ち、賢明な人であるということも。 けれど反面、妙にお人好しで、自分の信念を信じるのと同じように他者を信じられる人だということも知っている。 それは長所でもあるのだろうけれど。 まっすぐに育ってきたこの王子は、あの男のように、劣情を抱いて自分を見ているものがいるなど考えたこともないだろうから。 セレストはふと言いようのない不安に襲われた。 長めの白い袖に半分隠れているほっそりした手をそっと取る。 「…カナン様。カナン様は私がずっとお守りしますから」 じっと見つめると、白い頬が照れのせいか僅かに朱色を含んだ。 けれどセレストの本気を受け止めるかのように、視線を逸らさずまっすぐに見返してくるのが何ともカナンらしかった。 「う…む。僕だって、今更別の者につかれても困る。側にいるのはお前がいい」 「!…ありがとうございます。ずっとお側でお仕えします」 「…うむ」 「おやおや」 一歩離れたところから、アルネストは面白そうに笑みを浮かべた。 「あれでは従者と言うよりはまるで恋人のようじゃないか」 笑い混じりにひっそりと呟かれた台詞。 それは今はまだ二人に届くことなく―――。 END. 2005.10.02/紫 アルネストさん出張ってますが、決してアルネスト×セレストではありません。 うちのアルネストさんは多分ノーマルさんです。セレストは見込みのある部下といったところかと。 *** ブラウザバックにてお戻りください ***
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