遺跡の中に眠る転移装置はやけに高度な技術を駆使したもので、
少なくとも今のルーキウス王国やヒライナガオ、その他周辺の自由都市では見かけないものだ。 未知のものとの遭遇は大概の場合は好奇心と不安とを同等に掻き立てるものだが、 人によってその振れ幅は大きく違うらしい。 転移装置の操作盤にかじりついて実に楽しげにそれをいじっているヘルムトを見ながら、セレストは大きく溜息をついた。 セレストの隣の主君はと言うと、腕を組みながら考え深げにヘルムトの作業をじっと見ている。 けれどその目は不安や恐れに彩られてはいない。寧ろ明らかに興味深そうに見ている。 そんなカナンの耳元に、セレストはそっと唇を寄せた。 「カナン様、やはり危険すぎます。転移装置には私が乗りますのでカナン様はここでお待ちを…」 「何を言う。駄目だ。僕も行くぞ」 「しかし…例えあの転移装置がちゃんとしたものであっても、もし座標を間違って壁の中にでも飛ばされてしまえば…」 「勿論、それは慎重に慎重を重ねなければならないだろうな」 「ですから…」 もどかしげに言い募ろうとした従者の言を、カナンは強めの語調で制した。 「セレスト。僕たちには代替手段を探している余裕はない」 「…」 「幸い、遺跡に関しては専門家であるヘルムトもいる。何より…僕たちは、進まなければならない。違うか?」 「それは…そうですが」 「大体、お前が言うほどに危険だとすれば、なおさらお前一人を行かせるわけにはいかない。 前にも言っただろう。自分の命の価値を軽視するな」 「……っ」 言葉に詰まるセレストと、それを深い色の瞳でじっと見上げるカナンの元に、 場違いに明るい声が届けられたのはそのときだった。 「おおーい。転移装置は動かせそうだ!早速試してみるぞ!!」 「わかった。今行く!」 手を挙げて応えながら、カナンはセレストを促した。 「行くぞ、セレスト」 こうまで言われては止めることができない。 確かに足踏みをしているような時間はない。 危険とは言え、ある程度の保障はあるのだから、目の前にある可能性を試すのも当然だ。 だがそんな危険に主君を晒すなどもってのほか。 けれど、とセレストは思う。 もし自分一人がこの転移装置を使って何かあった場合、その後は誰がカナンを守るのかとか、 その後の厳しさを増すであろう戦闘にカナンを一人で送り出すことになるとか、 ダンジョンの中ではパートナーだと言ったカナンの気持ちとか、六百年前の八翼討伐の際の悲劇だとか、 自分がいなくなれば正気ではいないと言い放ったカナンの言葉だとか。 いろいろなことが頭の中を巡り、結局セレストは主君に従った。 「わ…かりました。では、共に参りましょう」 壁の中
「乗ったな?よし、では座標を入力するぞ」 「ああ、頼む」 「カナン様、エルダーさんが言っていた座標…覚えていらっしゃいますか?」 「もちろんだ。100,160に140,150、それから…」 さらさらと紡がれる数字に、ヘルムトは眉を寄せてむむむと唸った。 「ううむ。待ちたまえ。そう次々と言われては…ええと…100の…?」 「160だ」 「む?160の160か?」 「いや、違うぞ。そこは100だ」 「むむぅ。こうか!160の100、と」 「えっ?」 「わ、ばか…っ、違…」 叫びも空しく、転移装置は速やかに彼の仕事を実行した。 視界にノイズが走る。 「か、カナン様…っ!」 「セレ……」 咄嗟に伸ばした指先が互いに触れた瞬間に、奇妙な浮遊感が全身を襲った。 ぐにゃりと世界が揺れたかと思った直後、今度は圧迫感を感じた。 「―――…」 カナンはゆっくりと目を開けた。いや、開けたつもりだったのだが、目を閉じた世界と何ら変わらない視界に一瞬驚く。 しかしすぐに事態を把握し、嘆息した。 体は固定されたかのように全く動かせない。ということはやはり。 ――壁の中に閉じ込められるなどという通常有り得ない事態。 それでも取り乱したりせずに済んだのは、右手の小指の先に微かに感じる温もりがあったからだ。 それが何なのか…いや、誰のものなのか。カナンは自分の直感を欠片も疑ってはいなかった。 「どうやら運良く…いや、決して良くはないのだが、とりあえずミンチにはならずに済んだようだな。――セレスト」 当たり前のように呼ぶ。 すると、すぐに返る声があった。右後方、右手小指の先の方向から。 「カナン様!?ご無事ですか!?」 「無事…とは言えないが、まぁとりあえずは生きているな。お前と同じ状態だと思う」 「そう、ですか…。良か…いえ、全然ちっとも全く良くないです!何とかここから抜け出す方法を考えないと…」 「そのことなんだがな、…その前に、ヘルムトは僕たちと一緒に来ているのか?」 暫く、考えるような間があった。 「…いえ、来ていないと思います。転移装置に乗っていた我々と、 操作盤をいじっていたジョーンズさんとの距離は数メートルありました。 仮にジョーンズさんがとっさにこちらに向かったとしても転移には間に合っていないかと」 「そうか。よし、それならいいんだ。うっかり近くにいて巻き込んだらまずいからな」 「…何をなさるおつもりですか?」 「もちろん、脱出だ」 「ど、どうやって…っ!?」 「…そもそも、この壁、何でできていると思う?」 「何…と申されましても、体は指一本動かせない状態の上、見えませんし匂いも特になく…」 カナンはフフと笑う。 「ラッキーだったぞ、セレスト。もしこれが石壁だったりしたら転移した瞬間、 僕らはまさにミンチになっていたはずだからな」 「…お、仰らないでくださいよ…ミンチ…」 「要するに僕らの体積分を含む余裕のある密度ということだ。つまりそれほど固い物質ではない。 しかも息苦しくはあるがこうして喋ることができるということは、この壁自体にある程度通気性があって、 しかも外から近い位置に僕たちがいると推測されるわけだ」 「そういうことになりますが…しかし先程も申し上げましたが指一本動かせないこの状態で壁を壊すことなど…」 「火爆破なら、どうだ?」 「!」 絶句する気配が伝わってきた。それから焦り声と、必死で体の自由を取り戻そうとしているような気配。 「いけませんカナン様!危険すぎます! この状態で火爆破など放たれてはその衝撃はご自分の体にも跳ね返ってきますよ!?」 「だが、他に方法はない。ここでのんびり死を待つぐらいなら僕は多少危険な橋であっても先に進む方を選ぶ」 「……しかし…っ」 「くどいぞ、セレスト。第一この状況だと剣も握れないしアイテムも取り出せない。魔法を使うしかないだろう」 「……っ」 「よし、行くぞセレスト。衝撃に備えておけ」 「そんな無茶な…っ」 カナンはすうと一つ息を吸う。 右手の先にはよく知っている温もりがある。 だからこの状態でも口元に笑みを浮かべることができた。 左手に精神を集中させる。 「…火爆破!!」 左の掌に集った熱が、火花を散らしながら、周りを押し包む物質を弾き飛ばした。 粉塵が舞い散る中、暫くぶりの風に金の髪がさわりと揺れた。 予想通り、開けた空間との距離はさほどなかったようだなと辺りを見回したカナンは、次の瞬間顔を顰めて膝を付いた。 ほぼ同時に、従者の声が響いた。 「カナン様…っ」 目を上げると、青髪の長身が少し離れたところに見えた。 火爆破の余波でお互い軽く吹き飛ばされたらしい。 だが特に大事無い様子の従者に、カナンは頬を綻ばせた。 「…セレスト。よかった。無事だな」 「っ」 セレストは泣きそうに顔を歪めると、カナンに走りよって跪き、その左腕を取った。 「っつ…」 思わず片頬を歪めたカナンよりも、セレストの方が痛そうな表情をしていた。 肘から先が真っ赤に染まった手。 「こんな…無茶を…」 「少し血が派手に出ただけだ。傷はそう深くない」 「……」 無言の視線が少々痛い。 とは言え、彼の瞳はカナンに対して説教をするときのものではない。 多分彼は今自分を守れなかった彼自身を責めている。 寧ろ、そうとわかってしまうだけに居心地の悪さを感じる。 「…先に言っておくが、今はヒーリングは使えないぞ。 この状態でヒーリングをかければかえって体力を消耗して貧血にでもなるのがオチだろうからな」 「…ではせめてお手当てを」 低く言ったセレストに腕を預け、カナンはこれでさらに心配性がひどくなるんだろうなと溜息をついた。 「…申し訳ありません」 小さい声に、壊れ物を触るかのような手つきで丁寧に患部に布を巻くセレストのつむじを眺めていたカナンの視線が下がる。 「何か言ったか?セレスト」 「…お守りできなくて、申し訳ありませんでした」 「…むー」 不機嫌そうに唸ったカナンは、それからフフンと鼻を鳴らした。 「お前も、いつも簡単に自分を危険に晒すお前を見ている僕の気持ちを少しは味わえばいいんだ」 セレストは、ぴくりと指先を震えさせたが、何も答えることはなく黙々と手当てを続ける。 そのまま沈黙が続いたところで、カナンがぽつりと呟いた。 「…嘘だ」 「…え?」 思わず顔を上げると、偽りのない静かな瞳と視線がかち合った。 「そんなこと思っていない。心配をかけて、本当にすまなかった。でも――」 「カナン様…?」 「でも僕は、お前と僕と、両方が無事な方がいい。多少の怪我をしたとしても、 二人で生き残ることの方が僕にとっては遥かに大事なことなんだ。 だから、心配をかけたことについては謝るが、僕の行動については謝らないぞ。それから」 セレストに預けていない方の腕をするりと従者の首に回す。 「できれば、お前にもそうしてほしい。お前の性格上、 無理かもしれないが…それでも、僕のことを考えるなら自分の身の安全も少しは考えてくれ」 「それは…いえ、考えていないわけでは…」 「でもお前は、僕の怪我の方を重視するだろう?自分の命よりも」 「……」 「何かあった場合には、僕のことだけでなく、二人で生き残る道を考えてほしい」 「―――私、は…」 「返事はしなくていいぞ。お前が簡単に頷くとも思えんしな。ただお前の命は、 少なくとも僕にっては決して軽いものではないと覚えていてほしい」 カナンはそれだけ言いきると、片腕をセレストの手に、もう片方を首に預けたまま、 さらに額を彼の肩口に乗せて、親愛の情を示す動物のようにごしと軽く擦りつけた。 「…それとな。お前がいてくれたから、大丈夫だと思えたから、だから火爆破を使うことができた。ありがとう」 「カナン様―――」 セレストは、受け止めている温もりを全身で感じるかのように深く息を吸った。 「…きっと二人で無事にこの冒険を終えましょうね。めでたしめでたしで終わるように」 「―――ああ。きっと」 肩に押し付けられる力が強くなったのに応えるように、セレストは空いた片手を、己の肩の上の金髪にそっと絡めた。 2005.11.13/紫 …転移装置の構造とかいろいろ、ちょっと(?)捏造気味ですが。 *** ブラウザバックにてお戻りください ***
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