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それはほんのちょっとした好奇心だったのだ。
けれど。けれど。

「―――っ!」
カナンは口元を掌で覆った。
頬が熱い。さらに目元にもじわりと熱が集まる。

「カナン様…?」
「!」

丁度そのときタイミングよくかけられた、今一番聞きたくない、 けれど耳馴染んだ声にカナンはびくりと背を震わせた。











彼の反則










 「そうそう。聞いた?セレスト様、先月パトロール中に暴れていた酔っ払いを取り押さえられたんですって」
「それなら妹が見たと言っていたわ。とってもお強くて格好良かったんですって!」
「やっぱりセレスト様って素敵よね~」
「お強いし、お優しいし」
「あのお年で近衛隊の副隊長で、しかも…」

「「「独身!!」」」

見事にハモった楽しげな声と、続く華やかな笑い声をカナンが耳にしたのはまったくの偶然だった。
少し早めのおやつを食べ終え、セレストがお茶を片付けるためにいったん部屋を辞したときに こっそりと部屋を抜け出したのは、少なくとも今月に入ってからは初めてのことだ。
しかも、抜け出して行く先は大抵が城の古い書庫か倉庫、次に庭、練兵場、と続くわけで、 物干し場を目的地にすることは滅多にない。
このときも、ただ近道をしていて通りすがっただけだった。
それにも関わらず、洗濯物を干しながらの侍女たちの噂話…否、よりによってセレストに関する話を聞くとは思わなかった。
それとも自分が知らないだけで、もしかしたらセレストは侍女たちの噂話によく登場しているのかもしれない。

ある程度女性にもてるのは以前から知っていたが、それでも。

「あまり…愉快、ではないな」

そのまま侍女らの前に姿を現すのも躊躇われて、カナンは青空の下で盛大にはためくシーツに身を隠しつつ溜息を吐いた。








 ◆ ◆ ◆ 









 「それではカナン様、私は午後から町のパトロールに行ってまいりますが、 くれぐれも勝手にお忍びで出歩かないでくださいね」
「わかったわかった」
「…」
疑わしげな視線に、疚しさの欠片もないまっすぐなそれを返してやると、 セレストはそれでもまだ怪しむような表情をしたままだが、漸くカナンの部屋から退出した。



「まったく…」

椅子に座ったまま伸びをして、カナンはやれやれと息を吐き出した。
先日部屋を抜け出したのをセレストに見つかってしまったので、暫くあの警戒態勢と疑いの眼差しは続きそうだ。
町のパトロールも立派な仕事なのに、カナンを見張るためにここ1週間ほどその役目を他の者に 代わってもらっていたというのだから、その念の入れようと言ったらない。

ただ正直なところ、あれは自分でもしくじったと思う。
本当はすぐに部屋に戻るはずだったのだ。セレストが再びやって来る前に。
けれど侍女たちの噂話に気をとられているうちに、うっかり予定時間をオーバーしてしまった。

ふと侍女たちの噂話を思い出す。
「そう言えばパトロール中に酔っ払いを取り押さえたとか言っていたな」

セレストの実力ならよく知っている。
特に剣技においては、毎年大会で決勝戦まで勝ちあがるほどだ。
酔っ払いの十人や二十人、彼の力からすれば何ほどのものでもないだろう。

けれど、ちょっと興味が沸いた。
カナンは、城での従者としてのセレストしか知らない。
あるいはお忍びで町に出た際に偶然目にした、実家に帰ってのんびりしているときの穏やかな青年しか。
騎士団員、それも近衛隊と言えば町では憧れの職業で、ましてやその副隊長ともなればエリート中のエリート。
しかしカナンの頭の中ではどうしても「エリート」や「華やかで憧れの」という言葉とセレストが結びつかない。
だからこその興味。
騎士団員として街中をパトロールしているときに見せる顔は「憧れの近衛隊副隊長様」なのだろうか。
それともやはり、いつもと変わらない心配性の従者の顔をしているのだろうか。

ちょっと…かなり、気になる。


カナンはきょろきょろと辺りを見回した。
ドアを開けて、廊下で誰も見張っていないことを確認し、さらに窓から外の様子を十二分に窺って。
「…よし」
ふふふと笑みを浮かべると、カナンは好奇心を満たすべく、「思い立ったが吉日と言うしな」と 従者が聞いたら泣き崩れそうなことを呟きながら早速行動を開始した。








 ◆ ◆ ◆ 









 「うむ。やはり町の様子を見るのはお忍びに限るな。僕の変装術も完璧だし」

満足げに頷きながら、果物や花が店先に並ぶ賑やかな通りをカナンは楽しそうに練り歩いた。
変装とは言っても、服を変え眼鏡をかけただけなのだが、カナンを見咎める者はいない。
澄んだ青色の真っ直ぐな視線を僅かながら隠す眼鏡も、実はかなり有効なのかもしれない。
しかしそれよりもまず、まさか第二王子が供もつけずにこんなところにいると思う人間もいないだろう。
せいぜいが道行く人々が時折、視界を通り過ぎた明るい金髪に惹かれて振り返るぐらいだ。



「さて」

ひとしきり町の様子を楽しんだカナンは中央の広場にたどり着いた。
中央に噴水が構えられ、そのすぐ脇に大きな時計が設置されている。 時計の文字盤の下には金色の鐘がぶら下がっていて、毎時零分に時を知らせる造りだ。

噴水の縁に腰掛けて時計を見上げたカナンはもうそろそろかなと呟いた。
その手には赤い林檎が握られている。
カナンが先程果物売りの娘さんから林檎とともに入手した情報によると、 この辺りに騎士団がパトロールに来る時間帯は丁度次の鐘が鳴る頃らしい。
赤く熟れた果実でも齧りながら今暫しの時間を待っていようかと思った矢先、 慌しく走ってきた数人の男たちの話がカナンの注意をひっさらった。

「おい!あっちでガラの悪い流れ者の連中が暴れてるらしいぞ!」
「あの辺に店出してる果物売りの娘が絡まれてるみてぇだ」
「止めようとしたやつらが逆にやられちまったってよ…!」
「ど、どうすんだ!?騎士団のパトロールの時間はまだだろう!」

眉を顰めたカナンの足の向かう先は、…考えるまでもない。








「放してください!」
「え~?いいじゃんか。オレらと遊ぼうぜ~」
「そうそう。楽しいことしようぜ」

石畳の地面には、先程まで小さな軒先にきれいに並べられていた果物がばらばらに散らばっている。

「困ります…!」
「困りますぅ、だってよ!か~わいいねぇ。ひゃはは」

少女を囲んでいる男たちの数は十人足らず。しかしそれぞれ逞しい体つきに、 ある者は刺青を施し、ある者は鋲の付いた皮を巻きつけている。
とてもではないが、腕に覚えがあるわけではない一般市民が割って入れるような雰囲気ではなかった。
邪魔が入らないのを良いことに、少女の手を掴んでいた男が強引に歩き出そうとしたとき、

「おい、そこの男!」
「あぁ?」

振り返った男の顔に、真っ赤な果実が直撃した。
見事に急所を強襲した林檎がボトリと地面に落ちたのとほぼ同時に、男もその横に倒れこんだ。


「食べ物を粗末にすると罰が当たるんだが…緊急事態だ。やむを得まい」
ふぅと溜息をついたカナンは、結局一口も齧ることのなかった林檎を名残惜しそうに見た後、 自分を拘束していた男の手が離れたことでその場にへたり込んだ少女に目を向けた。

「娘さん、怪我はないか?」
「あ、はい!あの…ありがとうございます」
「いやなに、善良な民の安全を守るのも、一冒険者として当然の勤めだ」
「冒険者…のかたですか」

どう見てもそうは見えない出で立ちのカナンに、少女は困惑したような視線を送ったが、その表情が一変する。
「あっ」と叫んだ少女の視線につられてカナンの視線が後方に向けられ、次いで柳眉が顰められた。

「ようよう、坊主。やってくれんじゃねぇか…?」

攻撃対象をカナンに定めたらしい男たちは、彼を囲むように立ち位置を変えている。
どうやら一人がやられたぐらいでは引き下がってくれるつもりはないらしい。
逆に、仲間が無様に倒されたことで、余計にいきり立っているようにも見える。
予想はしていたが…いや、あまりにも予想通りで溜息を禁じ得ない。

(さて、どうする…?)

カナンは相手方との間合いをはかりながら戦闘方法をシュミレートする。

(魔法は駄目だな)

冒険を終えて城に戻ったときに大体のスキルは外している。
比較的威力が弱い炎の矢程度は付けたままだが、そう簡単には使えない。
威力が弱いといっても、あくまで対モンスターを想定した場合のの話で、 特に魔防の訓練を受けたわけでもない普通の人間に使えばどれだけのイメージになるかわからない。
ただでさえ幾度の冒険により魔法力が大幅に上がっているカナンが放つ炎の矢は、 並みのファイヤーレーザーぐらいの威力があるのだから。
周りには沢山の人もいる。さすがにこの状況でうまく魔法の出力を調節して加減できる自信はない。

(とすると、体術か)

そちらの方面はカナンの守備範囲ではない。
相手が一人であれば負けるとは思わないが、何しろ多勢に無勢。どう考えてもこちらに不利ではあるが仕方がない。
倒すことはできないだろうが、素早さでは確実にこちらが勝っている以上、 もうじき来るはずの騎士団のパトロールまでの時間稼ぎであれば何とか…。

「オラァ!」

真正面からのタックルをひらりとかわしながらカナンは身を屈めて素早く足払いをかけた。

「ぐぁっ!?」

すぐに立ち上がると、背後から拳を振り下ろそうとしていた男の顎下めがけて拳を振り上げる。 うまく急所を捉えられたらしく、男はのけぞって倒れこんだ。

「やりやがったな!この野郎!!」

ついに刃物まで取り出した男たちに「物騒な」と呟きながら、カナンは大振りになりがちな男たちの攻撃を 巧みに避けつつ、相手が疲れるのを待った。






カーンカーン…―――

ふいに、鐘の音が鳴り響いた。
中央の噴水近くにあった時計の鐘の音だ。
ということは。

カナンの脳裏に、心配性で過保護で、割と押しに弱くて、だけど本当はとても頼りにしているパートナーの姿が浮かんだ。

皮肉なことに、その一瞬に隙が生まれた。




攻撃を半歩後ろに下がって避けようとしたカナンのその丁度足元に、先程昏倒させた男の体があった。

「っ!?」

バランスを崩してよろめく。片膝を付いた瞬間、しまったと全身が冷えた。
もちろんその隙を見逃すはずもなく、刃物を持ち出した男がカナンに向かって白刃を振り上げた。




「―――!!」
「ぐ、がっ」





悲鳴を上げたのは、思わず目を閉じたカナンではなく、ナイフを持った男の方だった。
カランと地面に落ちたのはナイフと、それから小石。
誰かがそれを男の手に投げつけ、ナイフを取り落とさせたらしい。


一体何が起こったのか、カナンが頭で理解する前に、喧騒を突き抜けて、鋭い声が飛んだ。

「そこで何をしている!」

カナンは絶句して目を見開いた。
知っている声だった。けれど語調は想像したこともないような凛としたもの。
だからこちらに近づいてくる男が自分のよく知るあの男なのかどうか、咄嗟に確信が持てなかった。
数人の騎士団員を従えてこちらにやって来る青色の髪の青年は、彼でしか有り得ないはずなのに。

「もう大丈夫だ!騎士団が来てくれたぞ!」
「良かった…!」

町の人々が俄かに活気付く。





気付けば、見惚れていた。
正直言って、いつも見ている過保護で心配性でよくお小言を言うくせに 妙に甘かったりするあのセレストとは別人のようだ。
強いのは知っていた。いざというときとても頼りになることもわかっている、つもりだった。

だが、あんなに格好良いというのは反則だ。
これは女性にもてるわけだ。


いや、それよりも、これが本当にあのセレストなのだろうか。
ギャップがあるとかいうよりも、寧ろ信じがたい気持ちが勝つ。

しかも、その人が自分のもの、だなんて。


そう何気なく考えてから、思いついたその考えに呆然とする。



まっすぐにこちらだけを熱く見て、お慕いしていますと言ったのは。
緊張の面持ちで、悲しくなるほど優しい指先を触れさせてきたのは。
熱に浮かされたように何度も何度も自分の名を呼び、その口で熱を奪い、同時に与えてきたのは。
いつも自分だけを見ているのは。
あの男、なのだ。


「―――!!」


思考が真っ白に弾け飛んだ。

どうして今まであの視線に晒されて平気でいられたのだろう。
あの指先に触れられて。あの腕の中に囲われて。

視線の先では、人垣の向こうでセレストがてきぱきと指示を出しているのが見える。 騎士団員らの手により、暴れていた男たちは次々と拘束されていく。
そしてひとまず混乱を収め、すべきことに区切りがついたのか、 セレストの視線が何かを探すように辺りを一巡して、これだけの人だかりの中、あっさりとカナンに目を留めた。

「ぁ…」

目が合った瞬間、カナンは何かに衝き動かされるように反射的に駆け出していた。




全力疾走で、一体いくつの通りと路地を駆け抜けたのか。
人通りのない小さな横道に入ったカナンは荒い呼吸を繰り返した。
無我夢中で走っていたときは考える余裕もなかったのだが、呼吸が落ち着くにつれ、思考も戻ってくる。

カナンは壁にとんと背を預けた。
決して全力疾走だけが原因ではない顔の火照りはまだ収まりそうにない。


無意識のうちに口元を手で覆う。
のぼせたように顔が熱い。
まるで全身の熱が顔に集まってくるような感覚。
多分、今、顔は真っ赤で目は潤んでいる。きっとひどい顔をしているに違いない。

こんな顔見られでもしたら、いや、それよりも問題はそもそもの原因であるあの男のあの変貌ぶりが―――


まだまだ乱れがちの思考に囚われて他への注意が疎かになった瞬間を狙い済ましたかのように、

「カナン様…!」
「!」

実にタイミングよくかけられた声に、カナンはびくりと身を震わせた。
はっと我に帰って振り向くと、いつものあの緑色の瞳が、怖いぐらいに真剣な表情でこちらを見つめていた。
あの後すぐに人波を掻き分けて追ってきたのだろう。
騎士として日々鍛錬を怠らない彼が、珍しくも大きく息を切らせている。額に浮かぶ汗が彼の必死さを物語っていた。

けれど、今のカナンにとってはそれどころではない。

「あ…」

見つかった!と血の気が引く前に、見られた!という思いでさらに頬に血が上る。

一方、カナン本人であることを確信したらしいセレストの表情は一瞬の安堵の後、再び険しくなり、 その足は迷うことなくこちらに向けられる。

「カナン様!お忍びで町にお出になるのはお止めくださいとあれほど…!」

どんどん近づいてくる気配に、カナンは顔を腕で隠しながら叫んだ。

「く、来るなっ!」
「え…っ、どうかなさったのですか!?」

しかしそれは逆効果でしかなく、怪我でもしたと思ったのか、セレストは血相を変えて駆け寄ってきた。
振り払う間もなく、顔を隠していた腕を取られる。

「カナン様!どこかお怪我…で、も………」
「…っぅ」

必死の形相が驚きに彩られ、それからひどく困惑したものになる。

「ど、どうなさったのですか、カナン様」

焦ったようにおろおろと問いかけてくる。

「………なんでもない」
「何でもないはずは」
「…うるさい」
「は…いえ、あの、ですが、しかし…」
「…むー」

カナンは呻きながら恨めしそうにセレストを見上げた。

そうだ。これがセレストだ。
過保護で心配性で押しに弱そうな、この、これが。


それでも一度改めてしまった認識はそう簡単には戻らない。

「…反則だ」
「…え…っ!?なな何のお話ですか?って、うわぁっ」

首根っこに腕をがっしりまわして抱きついてやると、盛大な悲鳴が上がった。
それは驚き過ぎだ。第一失礼だろうと思いつつも、今回はその辺りは不問にすることにして、 カナンは赤いままの顔を隠しながら小さく呟いた。

「あんなに…格好良いなんて反則だ。セレストのくせに」
「………ッ!!」

セレストのくせにって何ですか、という反論を予想していたが、当の相手は息を呑んだきり無言だ。
不審に思って顔を上げると、冷静さを欠き切羽詰った表情がすぐ目の前にあった。
それから唇に感じた久々の感触と背中にしっかり回された男の腕とに、 カナンは一瞬目を見開いたものの、すぐに目を閉じて相手の求めに応じた。



貪るような口付けから漸く解放されたカナンが肩で息を付く。
悔しいが、完全に力が抜けてしまった身体はセレストの胸に預けたままだ。
本当に、今日は負けっぱなしな気がする、と不満を漏らそうとしたカナンより先に、 その身体をぎゅうと抱き締めたセレストが口を開いた。

「反則はどっちですか…っ!」
「…え」
「無茶をしてこんなに心配させて…!追いかけて捕まえたと思ったら、そんなお顔をされて、 しかもよくわからないことを仰って…その上、そんな不意打ちみたいな…っ」
「あー…?うー…」
「今日だけで何度私の心臓を止めかけたと思ってるんですか!まったく…ずるいですよ、本当に。反則です…っ」
「…っ」

吐き出すように一気に言われた言葉と、いつもの彼より若干高い体温、 そして早く脈打つ鼓動に、カナンの心臓も一際大きくどくんと跳ねる。


悔しそうに、けれどどことなく嬉しそうに「お互い様というわけか」と呟いたカナンは、 もう一度改めて恋人の背に手を回した。














END.









2006.04.11/九堂紫







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