Calling

03:青い騎士と白い姫










この日、明け方に少しだけ振った雨は日が昇る頃にはすっかり姿を消し、代わりに太陽が眩しく顔をのぞかせていた。
露を含んだ緑の濃厚な香りを肺一杯に吸い込み、カナンは空を見上げる。

気配もさせず影のように背後に付き従う男が、一瞬だけ迷ったような気配をのぞかせた。
カナンにとって、もちろん辛いこともあったが、同時にここの人たちには良くしてもらっていた。
それをセレストは充分にわかっている。
大方、お名残惜しいですか、とでも声をかけようとして、 そんな台詞は軽々しく聞こえるかもしれないと自重したのだろう、そんな風に容易に想像できる。
こういうところは本当にわかりやすい男だと思うと、カナンはおかしくなった。

「…何を笑っていらっしゃるんです?」
「いや、何でもない」

緩んだ口元を慌てて引き結び、カナンは己のたった一人の従者を振り返った。
セレストの目は以前と同じように穏やかにこちらを見ていたが、 以前にはなかった影が瞳の奥にちらついているのをカナンは見逃さなかった。
これから恐らく、明日をも知れぬ辛い旅になる。
カナンの記憶が失われている間一人で旅をしていた彼は、そのことを身に沁みて知っている。
そんな旅にカナンを赴かせることを、心苦しく思っているからこそ消えない影。
心優しい従者に、けれど自分はそれを辛いとは思っていないのだと伝わればいい。
そう願いながらまっすぐに彼を見据えて笑う。

「行こうか、セレスト」
「はい。…こちらの方々にご挨拶はよろしいのですか?」
「ああ。朝早く押しかけて申し訳なかったが、女将には話をしてきた」

彼女には、記憶が戻ったことと、昔馴染みの男と行く旨を告げた。
恐らく彼女は故郷に帰るとでも思っているだろう。
そう思っていてもらった方が都合もよかった。
まさか、世界を覆しかねないような存在と戦うために旅に出るなど言えるはずもない。
結局ここで稼いだお金は最後まで女将に受け取ってもらえなかったが、 どこへ行くにも路銀は必要だろうと言うわれてしまえば返す言葉もなかった。
女将だけでなく、できればともに働いていた――特によく面倒を見てくれたアニスにも 一言礼を言っておきたかったが、下手に自分たちに関われば危険になるだけだ。
非礼は承知だが、彼女にはもう自分たちとの繋がりを極力持たずに普通の幸せを掴んでほしい。

「カナン様、今しばらくは時間があります。もし心残りがあるのであれば…」

セレストの気遣わしげな声にカナンはゆっくり頭を振った。

「いや、いい。…それに、言うだろう?旅立ちの時は朝がいいと」
「似たような言葉なら知っていますが、その言葉は聞いたことがありませんね。ちなみに誰の言葉なんですか?」
「僕のアレンジだ」
「………そうですか」

はぁと息を吐いたセレストを、カナンは悪戯が成功した子供のような顔で見遣った。

「相変わらず苦労性がにじみ出ているぞ、セレスト」
「…どなたのせいだと思ってらっしゃるんですか!」
「ははは。あまり溜息ばかりついていると幸せが逃げるぞ。そして、それよりもまず僕に置いていかれるぞ」

セレストはやれやれと肩を落としながら、軽やかに踵を返したカナンの後を追った。















「あれ?どうしたの女将さん、こんな朝早くに」

何となくいつもより少し早く目を覚まして店に下りてきたアニスは、窓側の席に腰掛けた女将を見つけて驚きの声を上げた。

「ああ、アニスかい。おはよう」
「あ…お、おはようございます!」

慌てて頭を下げる彼女に苦笑しつつ、女将は窓の外を指差した。
窓の向こうに広がる草原に、二つの小さな人影があった。
うち片方が、上り始めた朝日に照らされてきらきらと金色に光った。
それは見覚えのある光だった。

長く綺麗な金色の髪。

「姫…?」
「さっきね、ここを出て行くって挨拶に来たんだよ。お前にも世話になったって礼を言ってた」
「出て行くって……姫…っ!」
「アニス」

駆け出そうとした少女を、女将は首を振って止める。

「え、女将さん…?」

不服そうに見上げてくる素直な眼差しを微笑ましく受け止めながら、静かに返す。

「あの子は、止めちゃいけない目をしてた。為さなきゃならないことがある人間の目だよ、あれは」

仕事柄、多くの人間を見てきたからこそわかる。
これまで様々な事情を持つ者を見てきたが、彼らは取り分け複雑な事情を持っているようだ。
同時に、滅多にお目にかからないぐらいのまっすぐな信念が目に表れていた。
だからこそ、余計なことは何一つ聞かずに送り出した。


アニスは、尊敬する女将の優しくも真剣な目を見返し、それから暫し窓の向こうの二つの人影をじっと見詰めた。

「…うん、わかった」

きゅっと唇を引き結ぶ。

「姫が行っちゃうのは寂しいけど、でも大丈夫。だって、お迎えがちゃんと来たんだもん」

姫のお迎えは、御伽噺に出てくるような王子様という雰囲気ではなかったが。
でも、王子様じゃなくてもいいとアニスは思う。
だって、お迎えを伴った彼の、先ほどちらりと見えた横顔が、とても晴れやかだったから。
ここにいたときによく見た、迷うような顔ではなく。

「お迎えは王子様じゃなくて、騎士様かな?」

青い髪の、穏やかそうな青年だった。
ぴんと伸びた姿勢がきれいで、彼を守るように付き従っている。

一言ぐらい喋ってみたかった。姫のお迎えは一体どんな人だったのだろう。
そして何より、姫をよろしくと言いたかった。
けれどこうして見ていると、わざわざ言う必要もないように思えた。

だから、遠ざかるふたつの影に、アニスは小さく手を振りながら囁いた。

「行ってらっしゃい。姫」
















END.





2007.12.01/九堂紫
「青い騎士と白い姫」完結。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!







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