胸奥に潜む |
「血――――ッ!」 「おいっ、みつ!?」 盛大に叫んだ後、へなりと崩れた光也を咄嗟に抱きかかえることに成功した仁はほっと息を吐いた。 「ナイトっ!?大丈夫?」 「ビショップ、お前はその傷を手当てしておいで。みつなら大丈夫だから…ああ、クイーン。丁度いいところに」 「これは…一体何事なの?」 両手いっぱいのバラの代償に真っ赤に染まってしまった妹の手のひらは心配だが、 とりあえず腕の中で蒼白になっている光也を放り出せるわけもない。 彼女の手当ては、丁度光也の叫び声を聞いてやって来たのであろう百合子に任せることにする。 先に屋敷に戻る二人を見送りつつ、仁は光也の身体をよいせと抱き上げた。 背負いなおすのも面倒なので、そのまま両腕で。 「しかし…背負うならまだしも、両腕で抱え上げられるというのは少し細すぎるんじゃないのか?」 女性でもなければ小柄なわけでもないというのに。 さすがに羽のように軽いとは言えないが、同年代の男子として考えると、やはり軽いとしか言いようがない。 首を傾げて覗き込んでみた光也の頬は青白く、辛そうに眉根を寄せている。 完全に気を失っているわけではないが、 貧血でも起こしたのか意識は朦朧としているというところだろう。 そうでなければ仁にこんな風に運ばれて抵抗しないはずがない。 なるべく振動を与えないようにゆっくりと歩きながら、仁はぽつりと呟いた。 「お前…血が苦手なのか?何か、理由が…?」 答えを期待するものでなく、ただ自分の考えを口にしただけだった。 人には何かしら聞かれたくない秘密や事情がある。 そういったものを抱え込んでいる人間は、得てして他人のそれにも敏感になる。 だから仁は他人の事情には首を突っ込まない。 ――はずなのだが。 仁はふっと唇を綻ばせた。苦笑というには幾分優しげな笑みを光也に向ける。 「お前はこちらの事情なんてお構いなしだからな」 事情も知らないくせに、まっすぐにこちらの胸の内に飛び込んでくる。 明け透けでまっすぐな彼は、何度でも迷いなく手を伸ばしてくるのだ。 そして最終的にはそれに救われる自分がいる。 そんな彼が相手だからか、時折こちらも、らしくなく踏み込んでみたくなる。 「いや、少し違う、か」 子供じみた独占欲。名前を付けるとするならそれが一番しっくり来るのかもしれない。 対象物を余さず手に入れたいと願う歪んだ欲。大抵のものに対しては淡白すぎるきらいのある分、 執着するものに対しての欲は深く激しい。 昔から持っていたそれは、けれど”慶光”に対しては一線を保っていた。 慶光自身がそれを強く望んだからであり、そんな彼に付け入る隙を見つけられなかったからであり、 幼少時よりともに育った彼と一番近しいのが自分であることは疑う余地もなかったからだ。 だが彼が記憶をなくしてから状況は変化した。 余裕などいっぺんに吹き飛んだ。一番近いのは自分だなどと高を括ってはいられない。 ”光也”にとって自分は唯一絶対ではない。気を抜けば自分より親しい相手を作ってしまうかもしれない。 それに、 「どうしてだろうな。お前のことで知らないことがあるのが、こんなにも許せない気分になるのは」 存外堪え性のない自分は、いずれ彼の内面に強引に踏み込んでしまうに違いない。 彼の一番深いところに眠る秘密を引きずり出して、 代わりにその場所に自分を刻みつけようとするのだろうと苦く思いつつ、 仁は未だ血の気の失せた光也の頬にそっと唇を寄せた。
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2007.06.10 8話に寄せて。 |