よく晴れた日だった。
庭に出ていた慶光はきょろきょろと辺りを見回し、それからふと見上げた二階のテラスに仁の姿を見つけた。
仁は手摺に背を預け、大きく仰向いて青空を見ていた。
ちらりと見える横顔は、凪いだ表情をしていた。
けれど、どこか立ち入れない空気を感じて、咄嗟に声をかけるのが躊躇われた。
「仁…?」
結果として小さく押し出した声が彼に届いたのか、それとも気配に敏い彼が何となく視線を察したのか。
ともかく、ゆっくりと視線を下げた仁は、こちらを見て「どうした?みつ」と微笑んだ。
ああ、この笑みだと慶光は思う。
夏から冬にかけ、暫く家を留守にした。
その間に何があったのかわからないが、仁の中で大きな変化があったのは間違いない。
仁は元々大人びた部分もあったが、同時に、ひどく子供じみた我が儘を言うこともあって、
たびたび困らされたものだった。だから、慶光はどちらかと言えば仁を弟のように見ていた。
けれど今は、逆だ。
仁は、こういった慈愛の笑みをよく向けてくるようになった。
これまで向けられていた、度を越えた執着はすっかりなりを潜め、代わりに無償の親愛を与えられる。
彼の性質やら何やらを考えれば、本当はこれこそが彼が本来あるべき姿だったのだと慶光は知っている。
彼を「キング」たらしめたのは我が儘な気質だからということではない。
人の上に立つ資質があるのは確かだが、それだけでなく、周りに心を砕き、慈しむことができる王。
そのような性質を持っているからだ。
そんな彼を今まで縛ってその行動を歪めてきたのは、そして今は消え失せたそれは、自己犠牲と呼ばれるものだ。
仁は慶光に強い感謝の念を持っており、以前はそれを証明するために進んで自らを滅ぼそうとするところがあった。
慶光はそれが嫌だった。
仁は大切な友人だ。その彼の自己犠牲など捧げられても嬉しいはずがない。
けれど、仁のそういった自己破滅願望のようなものは、たった数ヶ月離れている間にきれいに消えうせていた。
今の仁からは、何か呪縛から解き放たれたような清々しさを感じる。
ただ、時折寂しそうな表情を見せるのが気になったが。
そういうときの彼は大抵何かをぼんやりと見詰めている。
例えばそれは庭の薔薇であったり、闇夜に光り輝く月であったり、今みたいな晴れ渡った空であったり。
慶光は改めて空を見上げた。
目に痛いほどの青と雲の白のコントラストは鮮やかで美しい。
けれど、さほど特別なものというわけでもない。
「そこからは、空に特別な何かが見えるの?仁」
慶光は努めて明るい表情で声をはりあげた。
「…いや、みつが見ているものと同じだよ」
仁は苦笑しながら答えた。
「そんなに空を見上げてるなんて、まるでかぐや姫…いや、この場合は太陽だから寧ろイカロスかな。
太陽に恋煩いかい?仁」
からかうように言うと、仁は怒ることも拗ねることも惚けることすらなく、虚をつかれたように目を瞠った。
それから、前髪をくしゃっとかきまぜて「そうかもしれない」と言った。
慶光は瞬きをした。
「…本当に太陽観察でもしてたの?」
「まさか。そんなことをすれば目が焼かれるのが関の山だ」
仁が気を取り直したように笑いながら言った。
「じゃあ、何を見てたのさ」
「…ちょっと空をな、…見ていたんだ」
そう言って、仁は再び青い空を見上げて目を細めた。
青い空には白い雲がゆったりと流れている。それを同じように見上げながら、慶光はふと思いついたことを口にした。
「仁は…どこか、行きたいところでもあるの?」
仁は空を見上げたまま、暫く黙り込んだ。それから、首を横に振った。
「いや…今は特にないな」
ひっかかる言い方に眉を寄せたとき、仁が自嘲気味に呟いた。
聞き返そうとしたが、独り言めいた口ぶりに、慶光は問い直すことを控えた。
聞き違いでなければ―――そう、「まだ、この空の下にアイツはいないから」と聞こえた。
酷く切なく響いたのは多分気のせいではない。
人を大きく変えるもの――あるいはそれは成長と呼ばれるものなのかもしれないが――
それは人との出会いと別れだと聞いたことがある。
仁にもそんな出会いと、そして別れがあったのかもしれないと漠然と思った。
「忘れるところだった」
「何だ?みつ」
「亜伊子に言われてお前を探していたんだ。皆で庭でお茶会をしようって。早く下りてきてくれ、仁」
「わかった」
手を上げて応えた親友が部屋の中に戻るのを、慶光は温かな気持ちで見守っていた。
今は彼の抱えているものに踏み込むつもりはない。
けれどいつか、仁の変化の理由を、今も仁が追い続けているであろうもの…恐らくは人物について、
聞くことができるだろうかと思いつつ空を見上げる。
かざした指の間からきらきらと零れる光に、慶光は目を細めた。
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2010.03.02
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